忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今回のいい寺は・・・
南禅寺 天授庵です☆

ここには南禅寺の開山大明国師が祀られています。

41aad8bf.jpg

天授庵は山門の右にあります。
山門の上からもよくみえますね

左が本堂で右が庫裏です。
庫裏の屋根に一段高くなった建物があります。
炊事の時に釜戸の煙が外に抜けるようになっています
本堂は杮葺きの屋根で、一番格式のある葺き方
だそうです

境内伽藍は応仁の乱で焼失しましたが、細川幽斎
寄進により本堂や正門等が再建され現在に至っています。
細川幽斎は本能寺の変の後家督を譲り、晩年は京都
吉田で悠々自適な日々を送ったそうです。
ここは細川幽斎の菩提所にもなっています。

2cbd4fcb.jpg

今回は秋の特別拝観で訪れました。
庫裏の入口から中庭を覗くとぼんやりと赤い風景が・・・
参道のと庫裏の奥に見える紅葉が私に期待を
持たせます




99146a0b.jpg

庫裏の大きさに比べて柱が細いですね。
壁が無く、柱も気にならずに景色が堪能できますね



f05c5223.jpg

窓枠が額縁となって、燃えるような紅葉が私を迎えて
くれました
紅葉だけではなく後ろの竹林もいいですね。
この構図は細川家の菩提所大徳寺高桐院にも
似ていますね



c0e15a2f.JPG

本堂は非公開で内陣中央に開山大明国師の木像が
安置されています。
禅宗の塔頭寺院では、本堂に本尊ではなく各お寺を
開いた和尚さんを祀る所もあります。


de2cdaea.JPG

本堂前に続く参道です。


025c4a19.jpg

本堂の前庭(東庭)の枯山水庭園
幾何学的に配置された石畳を中心に白砂に苔が
キレイですね

cfae5582.jpg

00ada435.JPG

bdff3b0d.JPG


どんなに混んでいてもやっぱり紅葉のシーズンは外せませんね。
紅葉の色・白砂・苔の緑・・・このバランスで見られるのは
この期間しかありませんから!


d530ce75.JPG

書院南庭に向かいます。


4d0de164.JPG

書院南庭は中央に池を配した池泉回遊式庭園です。
もともと南北朝時代に作庭されたものですが、明治時代に
大修理をしているそうです。

1cb5c0a0.JPG

ed8630b2.JPG

17451a1e.JPG

池の対岸にも渡れます


2b7db52e.JPG

池を渡って反対側から見た風景です。
池泉回遊式庭園はどこから見ても絵になる景色ですね。



43feb218.JPG

庫裏から建物が続く書院です。
武芸全般に才能があった細川幽斎が再建したお寺
らしく、建物と庭が調和のとれた境内ですね。
床の間には「」の文字が見えます。

ここのお庭は心に残る庭でした。




拍手

PR
今回のいい寺は・・・
紅葉の南禅寺です☆

前回は新緑の頃に訪れた南禅寺
紅葉の時季に再訪です♪

ae463555.JPG
南禅寺に行く途中で見つけた秋の風景です。



この地に後嵯峨天皇の離宮・禅林寺殿があったそうです。
それが浄土宗西山派本山禅林寺の始まりでその南に
亀山天皇龍安山禅林禅寺を創建しました。
この亀山天皇が創建した禅寺が現在の南禅寺となったのです。
浄土宗禅林寺南の禅寺という意味だそうです!
簡単な名前ですが「京都五山の上」に位置づけされ、
一番格式のある禅寺なのです



5a9e7454.JPG

紅葉の季節には多くの観光客が訪れますね
駐車場に向かうバスや車で道路がふさがって
いました  





41b60f9f.jpg

南禅寺はどの季節に訪れても境内の雰囲気がいいですね。
参道を正面から歩むと気持ちがいいです






7b7393d7.jpg


この門をくぐれば涼風おのづから」夏の詩ですが
石のの生え具合いと後ろの紅葉が合っていました。






65b228e2.jpg

散紅葉のじゅうたんが鮮やかですね~



2f9551d2.jpg


観光客で賑わう境内の一角に静かに門を閉ざしたお寺が
ありました。
南禅寺専門道場の看板が見えます
ここではこの時期に一番厳しい修行を行っているそうです。



e8b8bc5f.jpg

12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日です。
「 森羅万象ことごとくみな生き仏、
    その中で私は生かされている 

これがお釈迦様の最初の悟りだそうです。
黄梅院の「作仏庭」はこの逸話から造られました。
修行僧は12月1日から8日まで不眠不休で坐禅を
するそうです
秋の紅葉のシーズンと重なりますが、外の賑やかさとは
無縁の世界です。




fba5afbd.jpg

寺院の台所となる庫裏です。
行事の時にはここで100人以上の方の食事を作ります
本山寺院の建物は全て規模が違いますね。
玄関から中に入ると天井が吹き抜けになっています。
中の梁を見ても建物の大きさに驚きます。



3994660c.jpg

小方丈と大方丈の入口です。
大方丈は御所の清涼殿を、小方丈は伏見城の
遺構
を移築したものです。
昔は不要になった建物を移築して無駄なく使用
していたのですね。
※御所において清涼殿は天皇の日常生活の居所
  として使用されました。


e9d4f3f7.jpg

法堂は禅宗寺院の中心となる建物です。
とはお釈迦様の教えです。
悟りを開かれたお釈迦様は亡くなるまでの45年間
各地を行脚して教えを広めました。





c5c5d07b.jpg

ここで線香をお供えして、お釈迦様から智慧
授かりますように・・・と手を合わせます
頭を下げるのはお釈迦様に頭をなでてください
という意味なんだとか!




599e7f96.jpg

堂内は行事を行うところなので広々としています。
正面の北側には釈迦三尊佛が祀られています。
涅槃入滅後のお釈迦様は身体が黄金色となり
北の天にみえるそうです。
両側に文殊菩薩普賢菩薩を従えて私達を
見守っているようです。
せっかく訪れたのに法堂を素通りしてはもったいない
のでしっかりとお参りしてきました

拍手

今回のいい寺は・・・
京都 大徳寺 黄梅院②です☆

植物の黄梅は江戸時代に中国より渡来したそうです。
黄梅庵だった頃には、黄梅はまだ日本になかったのでしょうか。
黄梅の花は旧正月の頃に咲きます。


a70c3e2a.jpg

本堂横の蹲で、外国人の男の子が水遊びをしていました。
本来蹲は手を洗うためのものですからね・・・
京都は外国から訪れる方も多いですね。
インドで生まれたお釈迦様の教えは、中国
朝鮮日本へと渡り東へ伝わりました。
今度は海を渡って欧米に伝わるのでしょうか

0ef21aa9.jpg


本堂と庫裏の間に井戸がありました。
京都は水の都といわれ、至る所に井戸があります。
今でも水が湧いているのですね。






4aab0599.jpg

庫裏はお寺の中で生活をする場所で炊事場が
あります
火を使う為に火事をおこしやすく、戦国時代の庫裏で
残っているのは僅かだそうです。
釜の蓋の上には火守りのお札が置いてありました。


d0236b81.jpg

食事の合図をする鳴らし物です。
準備が出来ましたよと鳴らします。
お寺の中には色々な種類の鳴らしものがあって
その音によって決められた事を行います。





4fc4664c.jpg
境内には歴代の和尚に関する茶室等の建物が
沢山あります。
どこから見ても庭がキレイですね




6f2f1a86.jpg

本堂から隣の書院へとつながっています。
書院は行事の時に来客の控えの間となります。
渡り廊下の屋根には雨が吹き込まないように工夫して
あります。
沢山の建物がつながっていますから、雨仕舞いには
気を付けないと大事な建物がすぐに傷んでしまいます。
火といい雨といい、建物を維持するのは大変ですね。


35a2f0f4.jpg

本堂の隣の書院にも有名な庭があります。
千利休豊臣秀吉の希望で作庭した「直中庭」です。
本堂前の破頭庭の簡素な造りとは対照的に苔むした
温かみのある庭です。
建物の用途によって庭の造りが異なりますね

982b467c.jpg

秀吉公の希望により軍旗瓢箪をかたどった池が手前に
あり、正面には大徳寺二世徹爺和尚が
叡山より持ち帰ったと伝えられる不動三尊石があります。
瓢箪型の池にかかっている石橋は伏見城より持ってきたと
いわれています。
また池の左手前には加藤清正伝承の朝鮮燈篭
配してあります。


fa8f8c5a.jpg

大徳寺と豊臣秀吉の関係は深いのですが、自身の
菩提所は山内にはありませんね。
江戸時代になって豊臣秀吉に縁のあるお寺は多くが
取り潰しになりました。
現存する有名な寺院は東山の高台寺と伏見の
醍醐寺です。
特に醍醐寺では豊臣家の家紋が瓢箪から
変わった歴史が垣間見れます。

今度は醍醐寺を訪ねてみます

拍手

今回のいい寺は・・・
京都 大徳寺 黄梅院です☆

ここは織田信長が初めて京都に入り、父信秀の供養の
為に羽柴秀吉に命じて建立したお寺です。
当初は「黄梅庵」と名付けられたそうです。
」と聞くと小さな山里のお寺のイメージがありますね。


e7a435c2.jpg

北大路に面した山門を潜ると直ぐ左側が黄梅院です。
南門からは入るのが正式ですが、こちら側から訪れる
人は少ないですね。



88ae2b1d.jpg

お寺の門を潜ると石碑が4本ありました。
萬松院殿 織田信秀公 霊所
小早川隆景卿墓所
洞春寺殿 毛利元就公 家一門霊所
蒲生氏卿公墓地
と書かれています。
黄梅庵は信長の父信秀の菩提所で、その後
小早川家、毛利家の菩提所となったために
このような有名戦国大名が名を連ねています。

戦国時代の有名な武将の名前が並んでいます。
これだけで歴史の深さが分かります。


73cbb1f1.jpg

山内でも紅葉しているお寺とまだ早い所とまちまちです。
苔むした参道に木漏れ日がいい感じですね。
門を潜っても続く参道 
この空間で心が落ち着いていきます




bd9db3d5.jpg

山門を入って直ぐに見えるのが庫裏です。
禅宗様式では一番古い建物(400年以上前)だそうです。
屋根の勾配が天に向かっているように見えますね。



cf57fad8.jpg

こちらの鐘楼には加藤清正が朝鮮出兵で持ち帰った
鐘があります
總見院の井戸の石といい、重たいものを持ち帰りましたね。


d43b73ed.jpg

庫裏の横に直接本堂に上がる玄関がありますが、
境内をぐるりと散策しながら拝観者用の入口に
向かいました。
禅宗の寺院は途中の参道も重要です。
自然が私達に語りかけているようです。



98cdd3cc.jpg
本能寺の変の後織田信長密葬はここで行われました。
秀吉は主君の菩提所としては寺領が狭いという理由で
總見院を建立したそうです。
今はこちらの境内の方が広いですね。


dfaaeb02.jpg

整然とした庭や自然に任せた庭、色々と楽しめますね。


7ffff248.jpg

この本堂は豊臣秀吉によって織田家の菩提所を
移した後に改築したものです。
中央の床は長い年月の間に磨かれて鏡のようですね。
古びた襖と対照的な煌びやかな幕が対照的ですね。



121d480e.jpg

本堂裏の作仏庭です。
森羅万象ことごとくみな生仏」だそうです。
生きとし生けるものは全てが仏様であるという事です。
本堂が水面に浮かんでいるようですね。
この流れが表の庭へ続いています。



428fd896.jpg

奥の石組みが滝口で、玉砂利が水の流れを表します。


fecd8c7a.jpg

花頭窓から見た中庭の石組みです。
手前の石の先が船首に見えて船内にいるように見えるそうです。


b6844f4b.jpg

生活の基盤の庫裏と本堂の間を通る船、
人生は船に乗っているようなものだと示しているのでしょうか。
それとも補陀洛渡海の小舟でしょうか
色々とイメージが湧きますね。
水の流れは本堂前の海原へと続いています

※補陀洛渡海については浅草寺③をご覧ください↓
  e-tera.net/Entry/8/


3f96aa3f.jpg

本堂前の庭、破頭庭といいます。
白砂が海原で、苔むした向こう岸に波が至るところから
付いた名称です。
白砂と苔むした向こう岸、沙羅双樹観音勢至の二石で
まとめられた庭です。
背景の土塀紅葉した木々が空間創りに一役かっています。


463a32d8.jpg

石の横に沙羅双樹の木が植えられています。
お釈迦様は沙羅双樹の木の下で涅槃に旅立たれました。
苔むした大地は涅槃を表しているのでしょうか。
しかし見事な紅葉ですね。
この時期に拝観できて良かったです


a9610be0.jpg

観音
勢至の二石は、観音菩薩勢至菩薩を表しています。
阿弥陀如来の脇に仕えているのがこの二菩薩です。
苔むした大地は西方浄土を表しているのでしょうか。




1030961a.jpg

本堂正面の扉は観音扉です。
扉を開けると堂内で唱えるお経が庭全体に響きます。


2cc941e0.jpg

この二石が迦葉石(かしょうせき)と阿難石(あなんせき)で
あるとしたらお釈迦様の代表的な弟子ですから、本堂に
向かってお釈迦様の話に耳を傾ける聴聞石(ちょうもんせき)
となりますね。
自然石なのでイメージがふくらみますね。
しばらく眺めてみます。

拍手

今回のいい寺は・・・
高桐院②です☆


見事な紅葉の庭を見ていると時を忘れてしまいます
この庭に温かみを感じるのは、石組や玉砂利が敷いて
いないからでしょうか。


818158b0.jpg

その代わりに灯篭が一基、庭の中央に備わっています。
この燈篭のおかげで雑然とした庭が引き締まってみえますね
この燈篭は、千利休より細川忠興に遺品として渡った
欠け燈篭」の片方です。
豊臣秀吉が所望しましたが、千利休は「天下人に似合わぬ」と
自ら傷物にしてまで断ったそうです。
豊臣秀吉織田信長にも「天下を取る名石藤戸石」を戦の
褒美に所望しましたが、「まだ早い」と断られた事があります。

その石は後に天下人となった豊臣秀吉の手に渡り、
醍醐寺三宝院の庭園に備えられています。


0e78018f.jpg
生茂った路地も味わいがあります。
緑の中の紅葉も良いですね。


40a3ccbc.jpg

細川忠興は戦国武将として織田信長に劣らぬほどの
冷徹さと気性の激しさを持っていましたが、千利休
師事して利休七哲の一人に数えられた文化人細川
三斎
としての一面もありました。



c3d39f9e.jpg

境内には、茶人細川三斎にまつわる建物が点在して
います。


f090df14.jpg

三斎井戸です。
ここで汲み上げた水を細川家の墓所に供えるそうです。


7c94876c.jpg

細川家の墓所に燈篭がありました。
これは庭の燈篭と同様に千利休より渡ったものです。
細川忠興の参勤交代の折にも肌身離さず移動させたそうです。
遺言により自身と正室明智玉の墓となっています。
それだけこの燈篭と正室明智玉は大切だったのでしょう。



93d5fcb7.jpg

細川家歴代の墓です。
本能寺の変で父細川藤孝は明智光秀の援軍要請を
断りました。
関が原の合戦では正室明智玉は、敵方の石田三成方に
捕らわれて人質となる事を避けるために自ら命を絶ち
お家を守りました。


503ddfca.JPG

裏を見せ、表を見せて散る紅
良寛さんが詠った歌です。

武将細川忠興茶人細川三斎として、そして正室
明智玉クリスチャン細川ガラシャとしてそれぞれに
違う姿を見せながら人生を終えました。
細川ガラシャと呼ばれた所以を探ってみたくなりますね。

また機会があったら由緒地を訪ねてみたいと思います。
ここ高桐院にも新緑の頃にまた訪れたいです♪

拍手

≪  1  2  3  4  5  6  7  ≫
HOME
カレンダー
05 2018/06 07
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[11/26 たけし]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
ブログ内検索
プロフィール
HN:
チエ
性別:
女性
自己紹介:
いい町.netのnetはネットワークのネット!
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!


最新トラックバック
バーコード
フリーエリア
アクセス解析
忍者ブログ [PR]