
大好きなんです♪
歴史を感じさせる古さもいいですよね

方丈と庫裡の間の空間には壺庭の東滴壺(とうてきこ)
があります。
狭い場所を上手く活用した庭として有名です。

描かれています


礎石だそうですよー

用途は違いますが、「リユース」ですね




います

サリチル酸が含まれています

亭主の気持ちや、茶会の趣旨を伝えたり、
盛り上がりますね♪




あります。
南宗寺山内の寺に住んで僧侶となって
修行をしていました。
貧しい人を助けたり、時には和尚さんの姿
になって迷う人を導いたそうです。
裏山に祀られています。
世に出て下さい、という話でしょうか・・・・・
同じ宗派の竜源院の狐窟に辿り着いた
そうです。
京都 大徳寺・瑞峯院です♪
戦国時代のキリシタン大名《大友宗麟》の菩提所です。
キリシタン大名の菩提寺・・・
高桐院の灯篭墓とクリスチャン細川ガラシャのように物語が
ありそうですね!
「瑞峯院」の寺名は大友宗麟の戒名《瑞峯院殿瑞峯宗麟居士》
から付けられました。
そして大友宗麟が、わずか5歳のときに自身の菩提所として
創建したそうです。
大名としての元服名は義鎮です。
宗麟は得度(仏弟子となる)を受けた際に授かった名です。
その後キリスト教に改宗して、洗礼名《ドン・フランシスコ》と
なりました。
大徳寺参道の土塀が、雨に打たれて傷んでいました

これは、風雨にさらされて侵食することを想定した塀だそうです。
雨水に洗われてザラザラした部分、雨が当たらずに変わらない
部分、そして苔が付いて変色している部分と、変化が楽しめる
ように造られています。
瑞峯院に向かう途中には石碑がありました。
石碑には《独坐庭》と彫ってあります。
世の中に流されることなく、静かに坐る
《独坐庭》そんな場所でしょうか・・・・
瑞峯院・方丈の前庭《独坐庭》です。
荒々しい波が押し寄せてくるような枯山水の庭ですね。
粒が大きい砂利の波紋が立体的で、波打つ音が
聞こえてきそうです

松風にしても波にしても実際に聞こえない音を表現されると
想像力が掻き立てられますね

立てた石組みで蓬莱山をあらわしています。
「独坐、大雄峰」波が打ちつける険しい峰に悠然と坐る・・・
これが独坐庭の由来です。
ここに坐っている主が大友宗麟で、打ちつける波が戦国の世
という事でしょうか・・・
波が入り江の奥まで入ってきますが、こちらは静かな浜辺を
連想させます。
動から静への変化を楽しむ庭ですね

大友宗麟は、心の安らぎを宗教に求め
キリスト教への信仰が深まっていきました。
方丈の裏には、縦4個、横に3個の石で《十字架》を表す
「閑眠庭」があります。
「独坐庭」「閑眠庭」は現住職が造園家の重森美玲さんと
大友宗麟の思いをくんだ「現代の庭」を造ろうと考えて
出来たそうです。
仏教寺院の庭にキリスト教の象徴が存在する斬新な庭
ですね

「人格の完成という目的に向かうため、キリスト教を選んだ
宗麟の心を尊重し、万民の霊を弔うために造った」
「仏も神も同じように世界を大きく包み込んでくれる。
排他的ではいけない。
人間同士がけんかする事がいかに小さなことか、
この庭から感じてほしい」
住職の願がここに示されています


「閑眠庭」を眺めながら広間でお茶を頂きました

ここには表千家家元の扁額《坐忘》の二字が飾ってありました。
静かに坐って無念無想の境地になれば、自分の存在すら
忘れて十字架と一体となるでしょう。
薄茶と大徳寺納豆が入った落雁、そして壷に入った
自家製の大粒の大徳寺納豆を頂きました。
大豆を発酵させた芳醇な味わいは奥深く、お茶請けから
中華料理のアクセントまで幅広く使えます。
甘いお菓子の後に食するのも一興ですね

方丈と庫裏の間の中庭には、キリシタン灯篭があります。
地中に埋まっている部分にはマリア像が彫られているそうです。
「閑眠庭」の十字架は、この灯篭を基点にしています。
灯篭の影がのびて十字架を映し出す

それは宗麟の心をつつむマリア様の愛でしょうか?
色々と想像したくなりますね

高桐院の細川ガラシャ、瑞峯院の大友宗麟・・・
禅宗は他の宗教に寛容なのですね。
瑞峯院を訪ねてキリシタン大名・大友宗麟に興味を持ちました。
次は九州六ヶ国を治めた大友宗麟について九州へ飛んでみます

今回のいい寺は・・・
「大徳寺の参道を歩きながら」です
今の大徳寺は周囲が住宅街で、門前には北大路が
通っていて街中の寺となっています。
千利休や豊臣秀吉の頃は、「紫野」といわれるように
緑に囲まれた自然豊かな場所だったのでしょう。
春が過ぎると松の花が咲き、勢いよく成長します。
禅宗の寺院では、松を好んで植えるそうです。
鑑賞の為ではなく、修行に適した樹木だそうです。
「閑坐して松風を聴く」という言葉があります。
境内で静かに座ると、風になびく松葉の音が聴こえて
くるそうです。
禅寺では修行のためですが、戦国時代の城では
非常食にする為に松を植えたそうです
松には色々と用途があります。
フランスではサプリメントや香料になります。
そして、松脂が地中で熟成すると琥珀になりますね。
※松にたかった虫が松脂に入ってしまうと、琥珀のなかに
そのままの姿で残ることもあります。
音を聴くといえば、《鐘の音》ですね
大徳寺境内には、織田信長の家臣が建てた鐘楼があります。
豊臣秀吉が織田信長の菩提所・総見院を創建した時に
合わせて建立したそうです。
総見院の境内ではなく、壁を隔てた外に鐘楼がありますね。
急逝した織田信長に、この世から想いを伝える
そんな意味で家臣は塀の外に建てたのでしょうか・・・
そして鐘の音は、境内中に響き渡りますね。
細川夫妻のところにも千利休のところにも
毛利元就や大友宗麟のところにも・・・
大徳寺を墓所にしている大名全てに聞こえているのでしょう。
松風は静かに耳を傾けてもなかなか聞こえませんね
おいしい《味噌松風 》のお店ならあります♪
「8代前まではわかっているのですが・・・」というほど重厚な
歴史を誇る和菓子店「松屋藤兵衛」です。
名物の《紫野味噌松風》は、江戸時代にお茶に合うように
考案されたと伝わる焼き菓子です
味噌の風味がふんわり漂う生地はもっちりとした食感で
毎年作る自家製大徳寺納豆の塩気が味を引締めています。
大徳寺参道前にある《大徳寺いちま》ではお茶席でも愛用
されてきたかわいらしい手まり寿司が頂けます
お茶に縁が深い大徳寺門前の店だけあって、お茶席の食事
にも長年携わってきたそうです
その中で創業当初から人気の手まり寿司は、食べてしまうのが
もったいないほどのかわいらしさです
千鳥酢で甘めに仕上げた寿司飯に色とりどりのネタをのせた
ひと口サイズです
京都の伝統的なさばずしです
古来より日本海でとれたさばが京都や奈良などへ運ばれました。
初夏のかわいいお花が咲いていました
とても丁寧な仕事をされているお店でした
次はキリシタン大名・大友宗麟の菩提所《瑞峯院》を訪れます
高桐院★千利休とファッションについて♪
京都の寺院では、和服で訪れている方をよく見かけます。
さすが京都は和の都!
高桐院の本堂前でたたずむ着物姿の女性

本堂の影、毛氈の赤、庭の緑が着物を引き立たてますね

この庭にも千利休から譲り受けた春日灯篭があります。
千利休は豊臣秀吉が欲しがりましたが、灯篭に傷を付けて
「天下人に似合わぬ」と断りました

しかし、ただ断るためだけに灯篭を傷つけたのでしょうか…
その後に譲り受けた細川忠興も傷を付けて《欠け灯篭》と
名を付けました。
商売では、商品に少しでも傷がついていたら欠陥商品
扱いされて返品か値引の理由になりますね。
それをあえて傷をつける理由とは・・・
千利休が求めた美の世界とはどんなものだったのでしょうか。
高桐院の本堂の裏、千利休が建てた書院《意北軒》です。
この建物で欠け灯篭の《意》を探ってみたいと思います

この建物は千利休の邸宅を移築したといわれています。
建築当初から土にイカ墨を練りこんで煤けた壁に仕立て、
その壁に雨漏りのにじみや、板張りの痕を見せて古びた風情に
したそうです。
新しさと古さという対照的なものが共存する空間

千利休はこの部屋に時間を塗りこんだのかもしれませんね。
今見ても、ただ古くなった建物とは雰囲気が違いますね。
千利休は欠け灯篭やこの書院のように、完成されたものや
華やかなものより、朽ちたものや、足りないものを好んだようです。
これが千利休の《美》に対しての考え方なのでしょう。
千利休の懐の深さや、遊び心が見えてきますね。
そういえば、私達も遊び心のあるファッションを楽しんでいますね。
今から30年前、ドイツ・ケルンの見本市で脚光を浴びた
ジーンズがあります。
《ストーンウォッシュ・ジーンズ》です。
鹿児島産の軽石とジーンズを洗濯機に入れて回す
ことにより、新品ながら履きこなした味わいを出すことに
成功して新しい流行を生みました


その後、履きジワや、バーナーで焼いたり、かぎ裂きを
つけたりしたダメージデニムへと変化していきました。
最近のデニムはペイントや箔が施されたデザインも
よく見かけますね。
千利休のお茶とデニム・・・
時代が異なっても共通するところがありますね

金閣寺でも着物姿の女性を見かけました

京都を訪れると私達が忘れかけている和心に出会うことが
できますよね。
京都の寺社仏閣には全国から、海外からたくさんの観光客が
みえます

京都には今に通じる文化が息づいていますね。
次は寺町を散策してみます

今回のいい寺は・・・
扇の話です♪
京都の町を散策しました
上ル下ル入ル…と碁盤の目のように通りが続く京都・・・
老舗や専門店が点在していて、散策して飽きることがないですね♪
「こんなところにお店が」と思うこともあります
六角通りに扇屋さんがありました。
画材屋のショーウインドーに筆をあしらった扇が飾られていました。
この辺りは扇に関係した通りなのでしょうか・・・
六角堂から新京極に入ると突き当たりに誓願寺があります。
境内に入ると、外からは想像出来ないほど大きな
本尊・阿弥陀如来が祀られていました。
ここは浄土宗西山深草派の本山で、謡曲「誓願寺」で
知られています。
謡曲「誓願寺」はお寺の縁起と霊験の話です。
この中で和泉式部が一遍上人の教えに感動して、
歌舞の菩薩となって現れた場面があります。
そこで歌舞の菩薩・和泉式部にあやかって、人々が祈願に
訪れるようになったそうです
誓願寺の境内にも扇塚がありました。
ここに舞踊や芸道の上達を祈願して扇子を奉納するそうです
扇子は舞踊には欠かせないものですよね!
道具を大切にして感謝をする気持ちがあれば、自然に上達する
のではないでしょうか
京都は桜が終わると芸・舞妓の《をどり》の季節となります。
祇園の『都をどり』、先斗町の『鴨川をどり』
宮川町の『京をどり』、上七軒の『北野をどり』
花街を彩る芸・舞妓の舞踊が見られる数少ない機会です
扇子とともに華麗に舞う芸・舞妓・・・
春は華やかな季節ですね
芸・舞妓さんは本来お座敷で舞踊を披露しますよね。
そして舞踊だけでなく色々な芸を身につけているそうです。
祇園の通りには、各種お稽古の予定が黒板に書かれていました。
「八坂女紅場学園」
祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)に属しており
通称「にょこば」といいます。
生徒は祇園の芸・舞妓全員で舞妓になったときが《入学》で、
妓籍を抜けるときが《卒業》です。
必須科目は古典芸能から書道、絵画まで幅広い道を学びます。
下は15歳から80過ぎの生徒まで、習い事に終りは無いのですね。
春の《都をどり》、秋の《温習会》が学園の文化祭にあたります。
花街には提灯が飾られて、《をどり》の始まりを告げます。
《をどり》は4月に各花街の歌舞練場で行われます。
祇園甲部歌舞練場の《都をどり》は4月30日まで行われています。
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!