忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今回のいい寺は・・・
京都・豊国神社です★


豊臣秀吉は亡くなってから、天皇より神号を賜り
豊国大明神』となり、豊国神社の御祭神となりました。


DSC_0508.JPG

徳川家康の大権現は、仏が権(かりの)姿として神に
化身して現れたという意味です。
豊臣秀吉の大明神は、(神は仮の姿ではなく)神そのもの
として現れたという意味です。



DSC_0648.JPG

豊国神社の唐門です。
16世紀末に桃山城より移設したもので、国宝に指定されています。
立派な建物ですね
豊臣家が大阪夏の陣で滅亡した後は、徳川幕府により神号を廃止
されました
社領も没収され社殿は朽ちるがままだったそうです。
明治になって復権し、今の景観になりました。


DSC_0512.JPG

時代の流れに翻弄された神社とは思えないほど静寂な空気に
包まれていました。


fa3c3a91.JPG

建物の装飾金具が豊臣家の繁栄を示しているみたいです。
金具には桐の模様が見えますね。
天皇は関白の職と一緒に桐紋を秀吉に下賜しました。



DSC_0517.JPG

瓢箪型の絵馬が綺麗に飾ってありました。
豊臣秀吉の馬印千成瓢箪に見立ててありますね


DSC_0611.jpg

これが豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪です。
戦に勝つたびに瓢箪を増やしたそうです。
元々は、瓢箪の紋が豊臣家の家紋だったそうです。


DSC_0623.jpg

瓢箪型の水筒です。
桐の紋の柄が描かれています。
豊国神社の宝物館には、豊臣家の歴史資料が豊富にあります。


DSC_0644.jpg

豊国祭礼図です。
豊臣秀吉・豊国大明神の七回忌にあたり催された祭礼の様子が
描かれています。
神様なので「法要」と言わずに『祭礼』なのですね★
屏風には、焼失したはずの『方広寺大佛殿』も描かれています。


DSC_0587.jpg

七回忌の祭礼は京のまち衆総出の賑やかな祭となったみたいですね。
(図鑑より)


DSC_0620.2.jpg

(前回訪れた北野天満宮での)北野大茶会の記録図も
ありました
当日は、京都だけでなく、大阪・堺、奈良からも参加者が
駆けつけました。
どの茶席で頂けるかは身分を問わず公平にくじ引きで
決めたそうです。


豊臣秀吉は茶人千利休・津田宗及・今井宗久を迎えて、
自らもお茶を点てて、客人に振舞ったそうです。

太閤秀吉の求めた茶の湯は、豪華で盛大なものでした。
師匠である千利休の求めた『侘び寂び』の世界とは違うものでした。



DSC_0621.2.jpg

豊臣秀吉が炉に炭を入れています
これからお湯を沸かしてお茶を点てるのでしょう

右側に薄く描かれているのは、秀吉から切腹を命じられた
千利休の亡霊です。
千利休は豊臣秀吉に何を語るのでしょう?
私は「侘び寂びこそが茶の湯だ」なんて語りかけているのかな
と思いました。

江戸時代末期の画家・富岡鉄斎の筆による明治時代の作品です。

これは豊臣秀吉を風刺する絵にも見えますね。
江戸時代は、豊臣家にとっても冬の時代でした。
明治になって名誉が回復して、各地の豊国神社が整備され
現在に至っています。



次は豊国神社の隣にある『方広寺』を訪れます


※北野大茶会の記事はこちら↓
  e-tera.net/Entry/78/


 

拍手

PR

今回のいい寺は・・・
京都 東山 鷲峰山高台寺です☆

豊臣秀吉の正室、北政所(ねねのお寺として
有名ですね。
織田信長の菩提所を訪ねて京都に来ましたが、
歴史の流れに沿って巡ってきたら豊臣秀吉
関係するお寺を訪れる事ができました。

秀吉は豊臣家の安泰を願い、幼い跡継ぎを家来に
託してこの世を去りましたが、皆さんご存知の通り
願いは叶いませんでした。
豊臣家としては醍醐寺での花見の頃が絶頂期で
わが世の春」だったのでしょう。
華やかである程反感を買うのはいつの時代でも
同じですね。


ffa27c14.JPG
江戸時代になり豊臣家が建立した寺院の多くが
取り壊されました。
その中で北政所徳川家康の庇護を受けて
豊臣秀吉の菩提所として高台寺を建立しました。

寺名は北政所の出家後の法名、高台院湖月尼
ちなんで付けられました。
殿が亡くなると奥方は出家して、尼僧となって殿の
御霊を守るそうです。

8e86aed8.JPG


階段上の建物が霊屋(おたまや)です。
内部は中央の厨子に大随求菩薩像を安置し、
左右の厨子には豊臣秀吉の坐像と正室北政所の
方膝立の木像
がそれぞれ安置されています。
厨子の扉や須弥壇に施されている漆器の蒔絵が
高台寺蒔絵として有名です。
茶道具の棗(なつめ)の柄にもよく使われます。



073cc8c3.JPG


方丈(本堂)前の庭です。
枯山水の庭に組み石ではなく盛り砂が中央にありますね。
奥の塀際には枝垂桜があります。
春にはキレイな花を咲かすでしょう
枯山水の庭でも季節によって変化が楽しめますね。





fa60ca1b.JPG

この盛り砂は豊臣秀吉と北政所を表しているように
見えました。



5bf4edcf.jpg

境内の高台に千利休作と伝わる二つの茶室があります。
傘亭時雨亭です



1b156a90.JPG


以前は竹薮や雑木の中で忘れられたようにありました。
建物は傷みがひどく朽ちかけていたそうです。


f488a0f1.JPG

こちらが傘亭です。
茅葺の屋根と四方に窓があるのが特徴です。
窓から入る日差しの方向で室内の雰囲気が
変わるそうです。



47efb663.jpg

内部を見ると屋根裏にを放射状に配したことで
傘に入ったような気分になることから傘亭の名前が
付いたそうです。
使われている柱は皮付きの丸太で、開放感もあり
他の有名な茶室とは趣向が違いますね


915758ef.JPG

こちらが時雨亭です。
二階建ての茶室は珍しいですね



99f0bbfb.jpg


時雨亭の内部です。
床の間にも円相の窓があります。
外の景色がそのまま飾りとなりますね




d9bac9d7.JPG

北政所大阪城が落城した時に、この二階から
大阪の方を見ていたそうです
その時の心境はどうだったのでしょう。



346d86b8.JPG

大阪城の落城と豊臣秀頼淀君の死によって
豊臣の時代は終わり、豊臣家は絶えてしました。
北政所はここで静かに余生を過ごしたのでしょう。

お寺を巡って歴史を感じるのには、この季節が
一番いいのかもしれませんね

拍手

今回のいい寺は・・・
京都 醍醐寺にある三宝院です☆


ここは真言宗醍醐寺派の総本山です。
貞観16年(874年)に創建して醍醐天皇の時代に
伽藍が整えられたそうです。

醍醐というと「醍醐味」という言葉を思い出しますね。
醍醐」とは、今でいうチーズのようなものだそうです。
牛乳を精製していく5段階目で「これ以上はありませんよ!」
ということで最上級の味を意味するそうです
凝縮して余分なものを捨てていきますので、盛り沢山に
飾られたものは「醍醐味」とは本来言いません。


6e70d05b.jpg

千利休は庭の朝顔の花を全部摘んで一輪だけ床の間に
飾り、豊臣秀吉を招いたそうです。
これが千利休の示した茶の湯の醍醐味かもしれませんね


3fd6be41.jpg

醍醐寺は応仁の乱で焼失した後に豊臣秀吉によって
伽藍と庭園の復興をしました。
特に三宝院の再建には贅の限りを尽くしたそうです。
ただ残念ながら完成を見る前に豊臣秀吉はこの世を
去りました


545c29b9.jpg

門をくぐると左側に枝垂桜、中央に、右側に作品展の
が飾られていました。



51842b2d.jpg

菊の種類もたくさんありますね。
入賞した菊です
立て札の紋は菊の中にをあしらった形でした。


f8c0228f.jpg

伽藍の入口です。
立派な屋根ですね。


d762c55a.jpg

いたるところに菊の御紋が施されています。
細かい所の細工まで実に見事です



3c91a96a.jpg

中に入るとすぐに枝垂桜の見事な襖絵が目に
入ります。
春に訪れたら境内の桜が咲き誇っているでしょうね
ここで豊臣秀吉が人生の最後を飾る善美を尽くした
醍醐の花見”を催した事は世に知られています。
復興事業が進むなか、秀吉は1598年に秀頼、北の政所を
はじめ淀君ら側室、女房衆、諸大名ら1300人を伴い
豪華絢爛な観桜の宴を催したそうです。

この花見で植えた桜でしょうか、醍醐寺境内の枝垂桜は
特に大きいそうです



208afd58.jpg

中庭は豊臣秀吉が自ら設計しました。
東西に100m、300人の人夫を総動員したそうです
秀吉の思いを受けて数十年かけて完成しました。
池には丸みを帯びた土橋が掛かり、その下を船が
通れるようになっています




47dabdee.jpg

贅を尽くした造りに、貴族の宮殿を思わせますね。




289d14f2jpeg

石は苔むしていくほど味わいが出てきます。
このは音が変化するように出来ているそうです
さりげなくかつ細かい演出がすばらしいですね



f035394b.jpg

権力の証のように各地から有名なや、珍しい石を
集めました。
中には、古墳に残されていた棺桶の蓋といわれている
ものもあります。
手前から奥に向かって砂石も置かれています。
京都の賀茂川に見立てた枯山水です。
左側の石は流れの速い有様を、
真ん中は川のよどんだ状態を、
右側は川の水が割れて砕け散る様子を表し、
ありとあらゆる石を混ぜ込んだような庭となっています。


f5f06460.jpg

多くの石の中に豊臣秀吉がほれ込んだ石があります。
藤戸石といいます。
源平の頃から戦に勝つ、武運の石と崇められていました
織田信長が笛や太鼓の提灯行列に合わせて城に運ばせた
ほどでした。
いわば天下人の証なのです

豊臣秀吉が戦の褒美にこの石を求めましたが、「まだ早い」と
断られた話もあります。
織田信長亡き後に、この石を天皇に披露して自分自身が
天下人である事を示したかったとも言われています。


2c8c06d2.jpg

豊臣秀吉の寝室がある建物です。
寝室から庭を眺めると、藤戸石が正面に見えます。
寝るときもこの石をみていたいと考えたのでしょう。
しかし、一度も使用する事がありませんでした。
この庭の主人は翌年の花見を迎える事なくこの世を
去ってしまいました。



76ab2c52.jpg

三宝院の正面にある唐門です。
門扉には天皇家の菊の御紋に、豊臣家の桐の
家紋
です。
天皇家をお迎えする証ですね
秀吉はこの花見の翌年に天皇を迎えて花見を
する計画で庭造りを始めたのです。
勅使歓迎の時、内側に扉が開けられると、両脇の
菊紋だけが見えるように造られているそうです

桐の紋は、元々醍醐寺の寺紋です。
天下人となった羽柴秀吉が、公家の最高の地位である
関白」の位を醍醐寺門主の弟から譲り受けた縁で、
家紋を瓢箪から桐の紋に変えたそうです。
関白になった秀吉は、羽柴から豊臣に性を変えて名実ともに
天下を手に入れました


afed90e3.jpg

醍醐寺枝垂桜で有名ですが、広大な敷地の中に色づく
紅葉もなかなか良いです
宝物殿も開いていて当時の華やかな道具が展示して
ありました


今度は桜の頃に訪れたいですね


拍手

今回のいい寺は・・・
京都 大徳寺の塔頭寺院 總見院です☆

洛北 紫野にある大徳寺お茶の千家に縁のあるお寺です。
現在ある22の塔頭寺院には40以上の茶室があるそうです。


f1c0519e.jpg
ここは名古屋大須の總見寺と同様に信長の菩提寺です。
清洲の總見院とは名前も同じですね。
一時期は修行するための禅堂もあったそうです。




f28d4b39.jpg


織田信長の葬儀は一週間かけて盛大に行われたそうです。
このお寺は豊臣秀吉が信長の一周忌法要に合わせて
建立しました。
明治になって旧建物は壊されてしまい創建当時のものは
表門土塀だけです。



0b0b7fda.jpg


他の塔頭寺院に比べて境内が質素な感じです。
山門をくぐって左側に本堂があります。
堂内には一周忌法要に合わせて作られた
信長公の木像が祀られています。


9291da7f.jpg


境内には織田家一族のお墓が並んでいます。
お墓の主は同じでもお寺によって石の形は違いますね。




bdf0d6c4.jpg


中央が織田信長のお墓です。
・・・と言っても信長の遺体はありませんから、
秀吉は木像の信長像で葬儀を行いました。
香木で彫った木像を荼毘(火葬)に伏したので、
炎とともに香薫が漂ったそうです。
大須の總見寺では愛刀がお墓に納められていました。



069485c1.jpg


門をくぐってすぐに茶筅塚があります。
使い終わった茶筅を納める塚です。
茶の湯と関係の深いお寺ですから大切に祀るのでしょう。
花入れが茶筅お供え入れがお茶碗の形をしています。

ここで毎年茶筅供養茶会が行われます。
茶会の行われる日を釜日といい、入口に在釜と書いて
掲示します。
總見院の釜日は4月28日です。

毎月28日は千利休の月命日という事で、菩提所の
聚光院では法要が行われ、塔頭寺院の何箇所かで
釜がかけられます。
どこも1000円納めれば大寄せの茶会に参加できるので、
茶の湯を学ぶ者には良い勉強の機会となりますね。


605a67b4.jpg


秀吉千利休から譲り受けて植えたものだと
伝えられています。
ワビスケ椿は花が小さく早春から咲き、
茶花としてもよく用いられる椿の園芸品種です。
この木はこの品種の現存する樹齢400年の
最も古い個体だそうです。


bca28b3c.jpg



こんなにかわいい花が咲きます



14194ee3.jpg


裏手に回ってみると井戸がありました。
加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされるものです。
大きなひとつの朝鮮石で彫りぬかれた掘り抜き井戸です。
今でも水が湧き茶筅供養の茶会でもこの水を使用します。
機会があったら私も一服頂きたいですね


5b43ffb5.jpg



境内から見る鐘楼です。
この鐘楼も創建当時からのもので信長の家臣から
贈られたものです。
この鐘の響きで主君のもとに気持ちを伝えようと
したのでしょうか。
各地に菩提所が出来たのは、織田信長を慕う人々が
それぞれに心のつながりを保とうとした結果だったのですね。

次は大徳寺山内を散策してみます

拍手

今回のいい寺は・・・
京都 東山 「蓮華王院 三十三間堂」です☆

浅草寺の聯(れん)には、
荘厳な飾りで表す観音様と、自然の中に見る観音様
二つの表し方を示していました。
 
今日は荘厳な姿の観音様を求めて東山まで来ました。
私が訪ねる蓮華王院三十三間堂は日本の職人技の
水準の高さを世界に示す寺院です。
 
91b57f66.jpg

名前の由来は本堂の内陣の柱間の数が
三十三ある事から通称されています。
観音様の姿が三十三に変化して私達を救う
・・・というのにも通じます。

42624fed.jpg

堂内には中央に中尊千手観音座像をはじめ、左右に
千体十一面千手観音菩薩、そして前面には
風神雷神二十八部衆像が躍動感溢れる姿で
祀られています。

本堂内に千体の観音様がずらりといならぶ迫力に
ただただ圧倒されるばかりでした!!

その迫力と静寂な堂内の雰囲気との対照が
なんともいえず素晴らしい。

いつしか言葉を忘れて、手の届きそうなところにある
観音様ひとつひとつに見入ってしまいます
 
撮影禁止なのがとても残念ですが、
是非三十三間堂のHPを見てください↓↓
sanjusangendo.jp/

29de13f0.jpg

三十三間堂をはじめ、この蓮華王院は後白河上皇
勅命により造営された寺院です。
建立に当たったのが平清盛で、1165年に伽藍が整いました。
その後の火災で総て焼失し、鎌倉時代に後嵯峨上皇の勅命で
現在の堂宇が16年の歳月を掛けて再建されたそうです。

363ac4a2.jpg

堂内の仏像は、慶、円、院派の京都の仏師集団など
工房を持った名のある仏師が数十体を分担して請負い、
弟子達をフル稼働して造像に携わったそうです。
根気のいる仕事ですね!
 
千とは数量的無限を示しているそうです。
観音様は「33に身を分けて・・・」といい、
いろいろな姿に変化して私達を支えてくれている
のだそうです。
33の姿ではなくそれ以上の力がありそうですね

この西側で成人の日に通し矢が行われるそうです。 
この長い堂宇の横で矢を放ったら気持ちいいでしょうね!!

8837403b.jpg

再建後の大修復は足利六代将軍義教、太閤秀吉、
徳川三代将軍家光、そして大正~昭和と4回も行わ
れたそうです。

6a946a69.jpg

朱色が鮮やかな回廊です。
昔は大きなスポンサーがいましたが、今は三十三間堂の中で
挙式を行ったり、色々な方法で寄付を募って門の塗り直しや
仏像の補修をしているそうです。

三十三間堂も創建当初は色鮮やかな丹塗りだったそうです。

9fbd1c89.jpg

池の向こうに東大門が見えます。
この回廊が雑多な外の世界と幽玄な中の世界の境目
という感じですね。
だから境内って言うのかな??

fa459a81.jpg

お寺に入ると必ず手洗い場がありますよね。
いつも冷たく美味く汲んでも尽きず、汲まぬ時は余らざる
不思議な泉と言われていたそうです。

26f0378b.jpg

平家物語の作者後白河上皇の勅命により蓮華王院を建立した
平清盛の墓所です。

お墓の古さが時の流れを感じますね。
時の権力者のお墓にしては、ひっそりとした感じが寂しいですね。
この墓所は六波羅蜜寺にあります。

三十三間堂のように修復を重ねながら後世に遺すことも、
大悲閣千光寺
のように自然のままにしておく事も、
どちらにしても遺そうとする気持ちがなければ出来ませんよね。

拍手

≪  1  2
HOME
カレンダー
01 2018/02 03
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
最新コメント
[11/26 たけし]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
[08/16 ひまわり]
ブログ内検索
プロフィール
HN:
チエ
性別:
女性
自己紹介:
いい町.netのnetはネットワークのネット!
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!


最新トラックバック
バーコード
フリーエリア
アクセス解析
忍者ブログ [PR]