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皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
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今回のいい寺は・・・・
成人の日の行事です♪
 
成人の日は全国各地で色々な成人式が
行われますね。
東京ディズニーランドでの成人式は
とってもうらやましいです!!
 
各地の寺院でも色々な行事が行われます。


 322e1b21.jpg
 
京都・三十三間堂の「大的大会」では
新成人が晴れ着で大的にむけて矢を射ります
観客も的に目が釘付けです!!


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なかなか的を射る事はできませんが
終わった後は、ホッとして親子で笑顔
 
三十三間堂の堂内では、一年間無病息災で
あるように御祈祷が行われます

 
京都・三十三間堂の通し矢はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/53/

三十三間堂 柳枝のお加持はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/54/
 


 DSCN2515.jpg
 
愛知県知多半島のお寺では、祈祷ダルマの大祭が
行われます
 
「念ずれば、花開く
福ダルマをもとめて多くの参詣者が訪れます


 DSCN2510.jpg
 
家族のこと自分のこと会社の事などみなさん真剣に
願っています。
 
DSCN2516.jpg
 
和尚さんが本尊大日如来に向かって皆さんの願を
唱えてくれます。
変わった願い事に笑い声も聞こえます


 DSCN2520.jpg
 
祈祷ダルマのルーツは群馬県の高崎です。
少林山達磨寺の和尚さんが貧地で困っている
地元農家の内職として考えたのがこのダルマです
 
ダルマの眉毛が鶴で、髭が亀になって、真っ赤な衣に
願い事が模様のように書いてあります
 
片目を入れて祈祷してもらい、叶ったら両目が開くように
もう片方の目をいれます
 
「人生の見通しが良い」と言う事でしょうね!


 DSCN2522.JPG
 
達磨さんは、禅宗の宗祖でインドから中国へ
禅の教えを広めに来ました
 
この知多半島の常滑には、崇山・少林寺で
面壁坐禅中の達磨大師に慧可大師が弟子入りを
願った雪舟作国宝『慧可断図』があります。


s1-1.jpg

悩み苦しむ慧可大師は、達磨大師に弟子入りを
請いますが、面壁坐禅中の達磨大師は応えません
 
そこで決意を表すために・・・
慧可大師は自ら自身の左肘を切断して達磨大師に
差し出します
 
そして、やっと達磨大師は振り返り弟子入りを許し
跡を継ぎました。
 
決意を持って行う
ここに祈祷してダルマさんに願う意味があるのでしょう。

でも、ちょっと怖い話ですね@@

 
 DSCN2513.jpg
 
祈祷したダルマさんは一年経って戻ってきます
両眼が入ったダルマさんや片目だけのダルマさん
一年間の感謝を込めてお炊きあげにします
 
願を掛けた結果は色々ですけど
「昨年の願はきれいに捨てて
新たな気持ちで歩んで行きましょう
とダルマさんが言っているようですね
 

 DSCN2514.jpg
 
帰りに熱々のたこ焼きを食べました~

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新年 あけましておめでとうございます
 
本年もご愛顧の程、宜しくお願い致します

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名古屋で初詣といえば熱田神宮です         
毎年、沢山の参詣者が訪れます
  
熱田神宮には三種の神器の一つ草薙神剣
が祀られています。
織田信長は桶狭間の合戦の前に祈願に
訪れました。    
 
歴史のある熱田神宮は平成25年に
創祀1900年をむかえます
 
今年の秋には、創祀1900年記念事業で
新しい社殿が完成します
どんな社殿が出来るのでしょうか
楽しみですね


 a5709163.JPG
 
今年は丑年ですね          
牛は神の化身であったり
神の使いであったり
「牛に引かれて善光寺詣り」
という話もありますね
 
そんな牛にまつわる話を調べたり
関係した神社や寺院を訪ねてみたいと
思います


 c846536c.JPG
 
神様に「ご利益が授かりますように」と
願を掛けたら
 


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あとは御神酒を頂いて
楽しい正月に
 
今年も沢山の出会いがある事を

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今回のいい寺は・・・・・
名古屋の紅葉前線です


 DSC_0021.JPG
 
名古屋市東区の徳川園です。
街の真ん中に広い池と回遊式の庭園があります
尾張徳川家二代目藩主の隠居所を再現して
造られました
街中にありながら静かで、ゆっくりと散策する事が
できますよ
園内には徳川美術館もあります。


 DSC_0009.JPG
 
園内を散策しましたが、紅葉を見るにはちょっと
早かったです。
代わりに紫色の実が付いた宮城野萩を
見つけました


 DSC_0020.jpg
 
ススキの穂もまだありました
徳川園紅葉は11月後半が見頃だと思います


53996358.jpg

昨年訪れたときの徳川園です♪
街中でほっとできる場所ですね


 7e7e9d58.JPG
 
ヒヨドリが水遊びをしていました
静かな水の流れを見ているとなんだか癒されちゃい
ますね


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近所の白山神社では、銀杏の葉が黄色に
色付きはじめていました
 


 a2f14f5f.JPG
 
神社の蹲は、水が透き通っていました


 DSC_0005.jpg
 
社殿の正面に飾られた龍・・・
 
龍は神道でも仏教でも登場します。
中国では、皇帝のシンボルとなっていますね
 強そうなイメージがあるからでしょうね。
 
龍は地、水、火、風など全ての自然現象を
司っているそうです
自然崇拝の象徴的なものなのでしょう。
 


886c445a.jpg
 
今は神道と仏教は分かれていますが江戸時代まで
神仏融合をしていました。
 
明治維新に神道を国教とする考えから、長年共存
してきた神仏融合の形が変って廃仏毀釈
行われました
 
そこから宗教、宗派の垣根ができたのでしょうか?
 
明治維新は日本の宗教にとっても大きな変化
をもたらせましたね。
維新への道を開いた長州藩士の故郷、
にもどって宗教の歴史を調べてみます
 
 
 

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今回のいい寺は・・・・
尾張の国・内々(うつつ)神社です。

山田郡・山田荘から庄内川の上流に
行ってみます


 owarikozu2.gif
 
昔、尾張の国は八つの群に分かれていました。
長母寺の創建に深く関わった山田重忠
山田郡の地頭でした。
 


 DSC_0131.jpg
 
領内を流れる庄内川です
昔は美濃や木曾から物資を運ぶ重要な水路でした
この川を守るのも地頭の役目でした。

現在では、川が行政の境界線になっています
川の左側が春日井市で右側が名古屋市守山区
吉根です。
 
この地域名は、吉根と書いて「きっこう」と読みます。
アイヌ語で読まれる地名で、1番西側にあるのが
この「きっこう」という地域です。
アイヌの勢力がここまで来ていたんですね

地名って歴史を語ってくれますよねー
 


 fc6a4faf.jpeg
 
庄内川を上流へ上ってゆくと岐阜県多治見市に
入ります
庄内川は、岐阜県に入ると土岐氏の領地内を
流れました
そこで、岐阜県では土岐川と呼ばれています。
 
多治見市内には夢窓疎石が開いた虎渓山永保寺
あります。

緑に囲まれていて素敵なお庭がある永保寺は
新緑・紅葉の季節におすすめです
 
永保寺は土岐氏の菩提寺として創建されました
山田氏の菩提寺・長母寺も無住国師がみえたこ頃には
同じくらいの規模の伽藍があったそうです。


 
DSC_0042.JPG
 
岐阜県多治見市に隣接する愛知県春日井市の峠には
内々(うつつ)神社があります。
この神社の庭園も夢窓疎石の作と伝えられています
内々神社の祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)
といわれています。


 5ce30867.jpeg
 
建稲種命は日本武尊(やまとたけるのみこと)の副将
として尾張の水軍を率いて東国平定に加わりました
 
日本武尊は、父・景行天皇より東国平定の命を
受けました。
伊勢神宮天叢雲(あめのむらくも)の剣を譲り
受けた日本武尊は尾張の国に入ります
そこで、尾張を治めていた建稲種命の妹を妻に
することで尾張の国を味方につけて東国平定に
向かいました
 
途中で何度か危機に遭遇しましたが関東一円の
平定に成功して日本武尊と建稲種命は甲斐で別れます。
その後、建稲種命は甲府からの帰路・駿河の沖で
水死してしまいました


DSC_0032.jpg
 
日本武尊は甲斐を平定した後、陸路で尾張国に
向かいました
この峠で建稲種命が水死した知らせを受けて
日本武尊は絶句してしまいます
 
「ああ現哉(うつつがな)々々」と嘆き悲しみ建稲種命の
霊を祭ったのが内々(うつつ)神社の始まりです
 


 bdf6f664.jpeg
 
日本武尊は悲しみの中、伊吹山の神を平定しに
出かけました。
その時、東国平定の為に譲り受けた天叢雲
(あめのむらくも)の剣
を自身の妻で建稲種命の
妹・美夜受比売(みやずひめ)に預けてしまいます。
 
天叢雲の剣草薙剣ともいわれ日本武尊を守る剣
でした
何故、その剣を持たずにでかけたのでしょうか?
日本武尊は伊吹山の荒ぶる神との戦に敗れ命を
おとしてしまいました
 
兄を亡くし、夫を亡くした美夜受比売は熱田神宮
建立して天叢雲の剣を熱田の地に納めました


 DSC_0108.jpg
 
その後も東国平定は行われました。
大和朝廷の軍は先ず伊勢神宮に詣でて、船で
伊勢湾を渡って尾張の国に入りました
 
そして、熱田神宮に寄り討伐の祈願をしてから
陸路・中山道を通って東国に向かったそうです



 DSC_0006.JPG
 
地元の郷土史家の先生に伺いました
名古屋市守山区吉根までが東国の支配下になった
時期もあって、内々神社の祀られた峠が東国への
入り口でした
東国平定に向かう大和朝廷の軍は内々神社にも
必ず寄って祈願をしたそうです



 54940a8f.JPG
 
内々神社の裏山を登っていくと奥の院があります。

下を見ずに上った方がいいと思います
 
道なき道を歩き、岩山の鉄製の急な階段を登った
所の洞穴が奥の院です



日本武尊は、この奥の院に建稲種命の霊を
祀ったそうです
今は歴史上の重要な場所とは思えないほど
寂れていました
お参りに来る方も少ないみたいです。


 ce4a9860.JPG
 
奥の院からの眺めです
遠くに霞んで見えるのが名古屋市内です
手前のバイパスが多治見から長野に向かう国道19号
です
この道の起点は熱田神宮前ですから東国平定に
向かった道と重なりますね。
 
日本武尊は兄を失った美夜受比売と尾張の国を守る
ために天叢雲の剣を置いて戦いの地に向かったの
でしょうか
 
平成25年が熱田神宮創祀1900年の節目の年
だそうです
 
天叢雲の剣だけが、その真相を知っているのでしょうねー


伊勢神宮の参道・おかげ横丁ってとっても楽しいですね♪
また行ってみようと思います
 
 
 
多治見・虎渓山永保寺についてコチラ↓
 e-tera.net/Entry/112/
 

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今回のいい寺は・・・・
名古屋・長母寺です♪
 

 DSC_0077.jpg
 
長母寺は名古屋市東区にある禅宗のお寺です。
矢田川沿いに長母寺の森が広がります
 
ここは、今から800年前に山田郡を治めた地頭・
山田重忠熱田明神のお告げで創建した寺院です。
創建当時は亀鏡山桃尾寺と称した天台宗の
寺院でした。
 
その後、山田道円が伽藍を整備して
「長く母の菩提を弔うため」にと願いを込めて
寺名を「長母寺」としました。


 DSC_0146.jpg
 
長母寺の境内を散策してみます
明治に起きた濃尾震災で倒壊してしまい
新たに建てられた伽藍です
手前が開山堂で隣が本堂です。



 DSC_0140.JPG
 
長母寺の開山・無住国師です。
無住国師は、東福寺の開山・聖一国師の弟子で
山田道円に招かれて住職となりました。


 
 97665e7b.jpeg
 
東福寺の開山堂の屋根に飾られたものを調べて
みたら、如意宝珠だそうです
「心の中で思い描いたものをすべて与え、あらゆる
願いを叶える」と言われています。
 
マンガ・ドラゴンボールの話みたいですね
ただ、如意宝珠の場合は、
「珠のように美しく心を磨き努力を怠らずに徳を
積みなさい。そうすればどのような困難に直面しても、
それを乗り越えて願いを叶えることができる」
と、簡単ではないようです


 
DSC_0151.JPG
 
長母寺に祀られた地蔵菩薩も手に如意宝珠を
持っています
 
聖一国師のもとで修行した無住国師の名声は
全国に知られていました
長母寺には多くの僧侶が集まり、無住国師は
修行僧の指導と布教活動にあたったそうです。
修行僧の心が澄み、願いが叶うように・・・・


 
DSC_0135.jpg
 
開山堂には千体地蔵菩薩も祀られていました
無住国師は長母寺の住職を50年間も務めた
そうです。
その間、蒙古襲来の時には朝廷の勅願所となり、
全国に93ヶ寺の末寺ができました。
無住国師のもとで修行した僧侶が全国の寺院へ
赴任していったのでしょうね


 
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無住国師は、寺領のあった知多半島の人々に
仏教を説くために万歳を作って教えたそうです
今では、国の無形文化財に指定されて尾張万歳
保存会が組織されています。
無住国師の兄弟弟子が開いた三河の実相寺でも
万歳が伝わっていましたね。
こちらは、三河万歳といいます。

 

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無住国師の命日には法要が行われ、檀家の皆さん
が参列します
今年は法要の後にフルート四重奏団のコンサートが
ありました
 
生で聴く演奏に皆さん静かに耳を傾けていました


 
DSC_0167.jpg
 
本堂に飾られた扁額です。
無礙光(むげこう)」と書いてあります
無礙には、「何にも囚われない、拘らない」という
意味があります。
阿弥陀如来が放つ光だそうです

お寺でコンサートってめずらしいですね。
たまには違った雰囲気で音楽を聴くのもいいかも
しれませんね
 
 
DSC_0161.jpg

無住国師の足跡を尋ねて、市内の歴史愛好家の
皆さんも訪れていました。
司馬遼太郎の「街道を行く」で全国各地の話が
取り上げられてから地元の歴史に興味を持つ方が
増えたそうです。



 DSC_0078.jpg
 
江戸時代には尾張藩の歴代の藩主は無住国師の
遺徳を偲んで、長母寺に御成りになりました
 
藩主一行は、書院から尾張平野や遠く御嶽山を
眺めて一日を過ごしたそうです。
藩主のお伴は奥方から家来の足軽まで数百人と
いました。
藩主の豪華な御膳から足軽の牡丹餅まで当日の
食事の準備が大変だったことが記録に残っています。

昔は草原で鷹狩りが行われた山田郡は、今は見渡す
限り住宅街です
川に架かる鉄橋は、長野に向かう中央線です
名古屋から長野へ向かう道は善光寺道といわれて
江戸時代から人の往来が盛んだったそうです
 
そして日本書紀や古事記にも出てくる歴史のある
道です。
この道を歩いてみます



※愛知・西尾の実相寺についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/180/
 

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