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皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
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今回のいい寺は・・・
名古屋 白壁を楽しむです♪


大分 臼杵の武家屋敷から名古屋の武家屋敷跡へちょっと
寄り道です


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名古屋の武家屋敷は、市の中心地・白壁界隈にありました。
白壁界隈は静かな住宅街になっていますが、一歩外に出ると
片道3、4車線の道路や名古屋高速が通っています



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名古屋は織田信長の清州越しの際、城を中心に創られた
町です
城下は、武家屋敷、寺社門前、町人街に分かれ江戸時代の
白壁町付近は、尾張藩の中級武士が屋敷を構えていました。



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明治になって武家屋敷は財界の人々の住まいとなりました。
それにつれて洋風建築の住まいが増えていきました
現在、白壁界隈は町並保存地区に指定されて貴重な
建物の保存・活用をすすめています。



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旧・豊田佐助邸の洋間です
洋間の換気口には鶴亀のデザインが施されています。
よく見ると鶴の羽で「と」 胴体で「よ」 亀の甲羅で「田」を
表しています。
『とよ田』・・・遊び心のあるデザインですね



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大正時代の照明器具です
規格化されて大量生産する器具とは違い、丁寧に造られたものは
温もりを感じます
美術館の芸術作品とは少し違う、職人の技を見る事が出来ますね。



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こちらは、門と塀だけを残して敷地内にマンションが建っています。
白壁界隈には、このようなマンションが多いです
景観の保全と、土地の活用の狭間で苦心した結果でしょうね。




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旧家をそのままの形で維持する事はなかなか難しいです。
取り壊して駐車場になったり、マンションが建ったり・・・
この界隈は急速に変貌しています



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そこで、名古屋城、白壁界隈、徳川美術館を結ぶ一帯を
文化の道》として文化財の保存とイベントの実施や活用を
進めているそうです。
この旧家も『百花百草』の名で市民の憩いの場として
開放しています



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名古屋の中心街とは思えない程、自然が豊かな場所です。
景色を見ていると、雑多な日常を忘れることができますね。
ここは大正9年に建てられた建物を改修して、多目的ホールに
なっています。



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重厚な扉の蔵を見つけました
貴重品を災害から守る蔵・・・白壁界隈には蔵のある屋敷が
多くあります。
ここには美術品が展示してありました。


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手前は懐かしい井戸水を汲み上げるポンプです
真ん中に洋風花壇
奥には白壁の歴史を感じる蔵と異なるものが存在しながらも
不思議と違和感がありませんね。


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ホールではピアノの演奏も行われます



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そよ風になびく樹木、蝶々が舞う草花、ゆっくりとわずかな水が
流れる水路、ピアノの音色と合わさって心が癒される感じがしました。
まさに都会のオアシスですね



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道路沿いにある大木です。
この大木を避けるように道路が曲がっています
地元の方の協力によりこの大木は残ったのでしょう。
この他にも何本か道を曲げて樹木が守られています。

白壁界隈武家屋敷から始まり、この大木の年輪の
ように変化を積み重ねてきました。
その変化のなかで、地元では町の保存に取り組んで
います。

そして、ただ保存するだけでなく町を活用する試みも
しています。
一番大切なのは、人々が集う町造りなのでしょう。

二王座白壁界隈・・・
武家屋敷という共通の歴史を持つ町ですが、二王座は
人々が建物に合わせた生活をしながら「二王座」を守り
白壁町界隈は変化を受け入れながら「白壁」の名前を
残そうとしている
ようでした。

次は、大友宗麟が抱いた夢について、大分に戻ります




※いい寺《清洲城界隈》はコチラ↓
  e-tera.net/Entry/33/


※いい寺《二王座を歩く》はコチラ↓
  e-tera.net/Entry/135/




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今回のいい寺は・・・
庄内川から玉野川へ」です♪

定光寺から春日井市に入ると高蔵寺ニュータウンがあります。
東京の多摩ニュータウン、大阪の千里ニュータウンと同じ頃に
開発された街です。



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高蔵寺(こうぞうじ)にある高蔵山(たかくらやま)の麓に
玉野・五社神社があります。
ここの秋祭りでは、鉄砲隊による火縄銃の試し撃ちが
行われます
玉野は、昔から鉄砲と関係のあった地域なのでしょうか?



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この高蔵山は航空自衛隊の高蔵寺分屯基地となっています。



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高蔵山は弾薬の貯蔵基地となっています
太平洋戦争のときに日本軍が弾薬庫を造り、
朝鮮戦争の折には米軍が使用したそうです。
現在は自衛隊の管轄になっています。
有事の時には、ここから名古屋空港・小牧基地に弾薬を
運ぶそうです



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小牧基地は、弾薬輸送のためにC-130輸送機の基地と
なっています。
そこで高蔵基地は、輸送自衛隊の分屯地となっているのですね。

小牧基地のC-130輸送機は、よくニュースに登場します。
自衛隊のPKO活動の隊員輸送やイラク復興支援の為に
空色に塗られた輸送機は、ここから飛び立っているのです。
向こうに空色のC-130輸送機が見えます。
自衛隊の海外派遣は続いているのですね。



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玉野町には、禅宗のお寺があります。
定光寺の末寺だそうです。
昔から玉野の菩提寺として信仰の中心となってきました。



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寺の名前を『太平禅寺』といいます。
弾薬基地が造られたこの地域の歴史を考えると
お寺の名前に意義深いものがあると思いました。
昔から変わらない平穏無事を願う人々の気持ちが
伝わってきますね!

宗教は時として権力者に上手に使われて戦争の大義となる
事があります
しかし、本来は争いごとを鎮める役目を担っているはずです



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定光寺から高蔵寺あたりまで、庄内川のことを地元では
玉野川》と呼びます。
澄んだ流れの底を覗くと、石が玉のように見えたことから
『玉川』と言われ、そして村の名が『玉野』となり、
『玉川』が《玉野川》となったそうです。

この清流のように皆さんの心が澄んでほしい
これが『太平禅寺』の名前の由来ではないでしょうか!

ここから上流の岐阜県では《玉野川》が【土岐川】になります。
豪族・土岐氏の名前がついていますね。
春日井市の隣、岐阜県多治見市には豪族・土岐氏が
夢想疎石》を招いて建立した虎渓山・永保寺があります。

今度は、玉野川上流の多治見市を訪ねてみます

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今回のいい寺は・・・
尾張徳川家と定光寺です♪


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豊臣秀吉が生まれた名古屋市中村区から庄内川を上っていくと、
多治見市(岐阜県)と春日井市(愛知県)の境目の瀬戸市に
定光寺があります。

ここには尾張藩初代当主・徳川義直の廟があり、
尾張徳川家との関係が深いお寺です

名古屋城が敵に攻められたときには、堀川から庄内川へ出て
定光寺まで川に沿って逃げてくるようにと、境内には武器
食料が備蓄されていたそうです
ここから美濃国(多治見市)に入れば敵も追っては来られない
でしょうね



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石段を上って境内に入ると、正面に仏殿があります。
歴史を感じさせる杮葺きの仏殿と新緑が調和してとても綺麗です。
この仏殿が尾張徳川家の菩提所としての格式を感じさせます。



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仏殿には地蔵菩薩が祀られています。
あの世に渡るときに下流に流されてしまわないように、
手を差し伸べてもらえるそうです
厨子のガラスに新緑が映し出されていました


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弘法大師お釈迦様が仲良く座っていました。
四国七十三番札所 出釈迦寺の本尊・釈迦如来の写しです。

弘法大師が仏門に入るかどうかを悩んで、深い谷底に身を投げて
釈迦如来の出現を願ったとき、釈迦如来と天女が現れて大師を
抱きとめたそうです。
その由来から一緒に祀られているのでしょうか。


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こちらは弘法大師薬師如来です。
四国七十四番札所 甲山寺の薬師如来の写しです。
四国八十八ヶ所は弘法大師にご縁のあるお寺を巡りながら
各寺院の本尊さんからご利益を頂きます。

お遍路さんの持つ袋には「同行二人」と書かれています。
「一人で四国八十八ヶ所を巡礼しても必ず弘法大師がついて
 いますよ」という意味です。
八十八ヶ所の寺院巡った時には、
「本尊さんにお参りして、弘法大師の存在も感じてください」
という意味で並んで祀られているのでしょうか。


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石の仏様も見つけました
石の上に座り腕を組んでいるように見えます。
境内には色々な仏様がみえて楽しいです♪


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仏殿の裏から尾張藩初代当主、徳川義直の廟所に向かう
参道があります
獅子の門をくぐると、段々と周りの雰囲気が変わっていきます。
風雪から守るために周りを建物で覆っている為見えませんが
この門には、左甚五郎作の獅子の彫り物が飾ってありました。



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樹木に覆われた木漏れ日の参道を上っていくと・・・
廟所が見えてきます。
山の中でここだけ明るくて、異空間のような感じです



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廟の門は銅葺きで屋根の棟や四隅にはが飾られていて
さすが、尾張藩の初代当主の廟所だなと思いました。
徳川義直は尾張藩の基礎を築いて儒教を学んだ事から
廟所は龍の門、祭文殿(焼香殿)、唐門、墓所が一直線に
築かれた支那風の建築構成となっています。
ここも風雪から建物を守るために四方を板で囲んでありました。



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徳川義直は鷹狩りの折に、定光寺に立ち寄って、景観の
美しさに心惹かれてここを菩提所としたそうです。

定光寺は紅葉でも有名です
秋に訪れるとまた違う景色の境内になるのでしょうね
今は静かな境内で郷土史を研究する地元の方が訪れて
いるそうです

司馬遼太郎の『街道を行く』の影響でしょうか。
身近な歴史を探ることが静かなブームになっていますね♪

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今回のいい寺は・・・
春の徳川美術館です♪


これから徳川美術館の周りは、行楽客で賑やかになります。
徳源寺で桐の花→徳川美術館で牡丹の花
→西本、新明亭、川本で昼食→芳光でお土産
これが名古屋の定番日帰りコースとなっています。

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徳源寺桐の花です。
色をしています。
「女の子が産まれたら桐を植えて、嫁入りの頃に箪笥の材料に…」
と言われるほど桐の成長は早いのです。
切っても根が残っていれば直ぐに芽が出て大木になります。
生命力が強いですね


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桐の生命力にあやかる意味で紋に採用されたのでしょうか。
桐の紋には、花の房の数の違いで五・三桐、五・七桐の
2種類があります。
醍醐寺の紋には、真ん中が7房で左右が5房の五・七桐です。
実際の桐にはもっと沢山の花が付きますね。


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徳源寺から徳川美術館は徒歩で5分ほどです
周辺の道も整備されています。


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徳川園の門を潜ると、見事に咲いた牡丹が目に飛び込んできます。
園内には色々な種類の牡丹が、春を彩るように咲いていました。


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美術館の他に尾張徳川家の書物を所蔵した蓬左(ほうさ)文庫
があります。
蓬左は、蓬莱の宮(熱田神宮)の左の町の意味で名古屋を
示します。
そこで、名古屋城を蓬左城ともいいます。
和風建築の文庫が牡丹園に合っていますね


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大きな花ですね 牡丹は『花王』と呼ばれています。
単色の花も良いですが、濃淡のある牡丹は華やかです。
牡丹はシャクヤクを台木に接ぎ木して育てます。
植えた翌年は、花芽を落として2年目に期待すると良いそうです。
夏に休眠するので葉を落とし、秋に肥沃な土を加える・・・
育てるのも大変ですね!!


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徳川美術館では『桃山・江戸文化展』が行われています。
太平の世の優雅な生活や、花鳥図が極彩色豊かに描かれた
作品がありました。
桃山時代にもこのような華やかな暮らしがあったのでしょうか。
ここには、徳川家の歴史が凝縮された文化財や寄贈された
貴重品が多数あります。
時間を掛けてゆっくり見学すると良いですね♪


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桃山時代の女性です。
着物の帯がとてもシンプルなことに驚きました。
江戸時代になって帯が太くなり、現在のような帯になり始めた
そうです。
きっかけは歌舞伎の流行により、女性らしさを強調するため、
太い帯で華やかな結び方が生まれたと言われているそうです!


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室町時代に描かれた紅白の牡丹です。
昔から牡丹は、日本画の題材によく使われていますね。
それだけ魅力のある花なのでしょう!


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紫の牡丹です。
紫色には、何か不思議な魅力を感じます。

紫は色の位では最高位だそうです。
ローマ皇帝が紫の礼服を使ったのが始まりで「ユダヤの王」と
言われたイエス・キリストはその死に際して紫の衣をまとわされた
そうです。

※カトリック教会では、四旬祭に司祭が紫の帯をまとい、
 受難の日には、イエス像を紫の布で隠します。

日本でも聖徳太子の定めた冠位十二階では、紫は最上位の
大徳の冠の色とされました。

そして紫といえば紫式部ですね。
徳川美術館には、国宝の源氏物語絵巻が収蔵されていて
特別展の折に見ることができます。


京都のイメージカラーも紫です。
Jリーグの京都サンガは「パープル・サンガ」の名称でした。
サンガにはサンスクリット語の『僧』の意味と『山河』の意味があります。

京都は山に囲まれ、桂川、鴨川が市内を流れ、山河の「気」を
頂いている都だそうです。

次は『気』 風水の都について探ってみます♪



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今回のいい寺は・・・
名古屋の春の続きです


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桜ばかりに目が行ってしまいますが・・・
百花繚乱★草木が一気に動きだします♪


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利休梅です。
白くてかわいい花が咲きます
明治になって中国から輸入されたそうです。
茶花として使われる事から【利休梅】と名が付いたのでしょうか。

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枝垂れ桜の開花はまだのようです。
名古屋の桜は、寒緋桜、ソメイヨシノ、枝垂れ、ボタン桜の順番に
咲きます。


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最初に咲く寒緋桜です
緋色より濃いピンク色ですね。
花の形がソメイヨシノとは異なります。



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名古屋城の外堀の近くには、たくさんの寒緋桜が植樹してあります。
全国的にソメイヨシノが一番沢山植えられていますので、他の桜を
見かける機会が少ないですね。


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名古屋城から見た名古屋市役所と愛知県庁です。
左の屋根が尖った形の高い建物が市役所です。
右の桜の木の上に少しだけ屋根が見える建物が県庁です。

周囲に高い建物が無かった頃に、これらの庁舎を「名古屋城」
と勘違いした方がいました。


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遠くから見ると市役所も県庁も名古屋城と屋根の感じが
似ているからかもしれませんね。



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確かな美術品が揃っている場所が名古屋にもあります
徳川家の歴史的文化財が残る徳川美術館です。
美術品の良さを肌で感じる事ができる場所です★


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美術館がある徳川園の桜も見ごろでした
門から覗くと門が額縁のように見えます

ここはボタンの花が有名で、4月の終り頃1番賑わいます。


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徳川美術館の近くに修行僧の道場があります。
春になると新しい修行僧が門を潜って道場に入っていきます


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新しい道に入るのは、簡単ではないようです。
1日中動かずに入門をお願いしている様子です

一休さんの話でも修行道場への入門は大変そうでした。
どの道に行くにせよ、初めは苦労をしますよね。

水上勉も寺での小僧生活を終えて、修行道場に入る予定
だったのでしょうか。

和尚さんになっていたら「飢餓海峡」「五番街夕霧楼」
「金閣炎上」も世に出なかったかもしれませんね。




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