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今回のいい町は・・・
咸臨丸、清水港で交戦するです♪
 
 
 
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清見寺の庭に建つ石碑の前で
「人食い??」「何だろう??」
と話し合う声が・・・
 
 
 

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これは榎本武揚が揮毫した石碑で
「人の食(じき)を食(は)む者は、人の為に死す」
禄をいただいた主君のために人は殉じるという
意味が書いてあります
 
 
 

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山岡鉄舟を越えた年は激動の一年でした
 
3月に江戸城無血開城をすると
4月に徳川慶喜から徳川家達に家督が移り
5月に駿府藩70万石に移封となりました。

 
 

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8月には江戸に居た家臣が横浜港から航路
清水港へ移住してきました
 
無禄の難民となった家臣は7千人ともいわれています。

 
 

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苦しい生活を強いられながらも、家督を守った
徳川・駿府藩に事件が起こりました
 

 
 

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榎本武揚を中心に函館に向かっていた
幕府海軍の一隻・咸臨丸が台風で破損して
修理の為に清水港へ入ってきたのです

 
 
 

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同じ家臣でありながら、大政を奉還した駿府藩には
何もできませんでした
 
咸臨丸賊艦として官軍の攻撃を受け
乗り組んでいた兵士は全員討取られて
海に投棄されてしまいました
 
 



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「賊軍に加担するものは厳罰に処す」のお触れが
出て遺体はそのまま海に浮かび、地元民は
出られない状況でした
 
 
 

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そこに登場したのが清水次郎長でした
 
無禄となった家臣の面倒を見ていた次郎長は
死んだらみな仏、仏に官軍も賊軍もあるものか
と、厳罰覚悟で遺体を引き揚げて埋葬しました
 
 
 
 

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次郎長は駿府藩に呼び出されましたが
堂々と言い返したそうです
 
その姿に感銘を受けた山岡鉄舟は、次郎長が建てた
墓地に壮士墓の揮毫をかって出ました
 
 
 

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後に次郎長の元には、多くの海軍将校が訪ねてきて
当時の話を聞いたそうです
 
賊軍の大将だった榎本武揚は恩赦によって
明治政府に登用されて大臣にまでなりました

 
 
 

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そして、明治政府の一員になりながらも殉死した
幕臣の霊を祀るために各地で石碑を建立しました

次郎長が発した
仏に官軍も賊軍もあるものか」の啖呵は
多くの人の心に響き渡りました
 
ただ、清見寺の石碑が建立された後、福沢諭吉は、
自身が著した痩我慢の説のなかで
二君に仕えるという武士にあるまじき行動
と碑文を批判しています




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徳川家を支えた三河武士を先祖に持つ
福沢諭吉にも言い分があったのでしょう・・・

清見寺の庭先で榎本武揚との論戦が続いていそうです 

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今回のいい寺は・・・
清見潟のお寺・清見寺です♪
 
 
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秋晴れや 三保の松原 一文字



 
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三保の松原が一望できる対岸の清見潟
 
そこには、歴史に名を刻んだ権力者や
文人墨客に愛されたお寺があります



 
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清見潟の関に建てられた清見寺です。



 
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今川氏の人質となっていた徳川家康は幼少の時、
ここ清見寺の和尚の元に通いました
 
方丈には、徳川家康の手習いの間があります

 
 
 
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武田信玄は、今川氏との戦の折に本陣をかまえて
「清見潟、雲にも関があるならば 月を染めよ 
三保の松原」と詠い
 
豊臣秀吉は 小田原攻めの折
「三保の松原、清見潟の月、冨士の白雪」
と風景に感動して清見寺に滞在したそうです
 



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庭の五百羅漢は、島崎藤村の小説
「桜の実の熟する時」の最後の場面に
登場しました
 
 
 

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誰かしら知った人に会えるという無数な彫刻の相貌を
見ていくと
あそこに青木がいた、岡見がいた、清之助がいた・・・
 
 
 

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女性の相貌を偲ばせるようなものもあった
磯子、涼子、そして勝子・・・
 
私の知り合いも居そうです 
 



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高山樗牛は清見寺の鐘聲という
作品を執筆しました





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秋深うして萬山きばみ落つ。枕をそばだつれば
野に悲しき聲す。
あれは鐘の音、わづらいひの胸にもの思へとや、
この世ならぬひびきを、われいかにきくべき・・・・・
 
喀血した高山樗牛は、療養中に自身の心のうちを
清見寺の鐘聲で表しました。




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鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひびきぬ・・・

 
 
 
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この地には裸の大将山下清も訪れました
彼は鐘の音より、境内を通る汽車が気になりました


 


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お寺より汽車のほうが大事なので
お寺のひとはそんしたな・・・

その時の感想を
清見寺スケッチの思い出のなかで述べています





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山下清が訪れたころには
清見寺を取り巻く環境が変貌をしていました。

お寺から見える景色は埋め立て工事で
あんまりきれいでないな・・・
と嘆いたそうです

風光明媚な清見潟の地も
高度経済成長の荒波にのまれてしまい
古人が愛した景色がなくなっていました。




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往時を偲び、多くの人がくぐった山門も
帰り道に見える景色は今の姿

お寺の人はよその人に自分の寺がきれいと
思われるのがいいか
自分の寺から見える景色がいい方がいいか
どっちだろう

山下清のなげかけた言葉

私は寺の風景も、寺から見える景色
どちらも良くてこそいい寺だと思いました

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今回のいい町は・・・
羽衣伝説の景勝地です♪

 
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峠(さった峠)を下れば清水・東海道江尻の宿です。
入江の向こうには三保の松原
 



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日本三大松原の一つ
三保の風景は古人により詠われ、多くの歌が
残っています


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澄んだ空気と静寂な海、そして雄大な松原の景色に
古より語られた伝説がありました
 
羽衣伝説です。



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ある日、地元の漁師が浜に出掛けると、
松の枝に架けた美しい衣を見つけました
 
それは、天女の羽衣


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持ち帰って家宝にしようとする漁師に
天女は羽衣を返してと願います
 
漁師が羽衣を返すと、天女は御礼に
月世界の舞を披露しました
 

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そして、天女は十五夜の月明かりの中
富士を見おろす天界へと戻って行きました
 
 
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富士山駿河湾三保の松と、この自然の中、
天女が舞う場所としては最高の舞台でしたね


 
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地元の御穂(みほ)神社には、羽衣の切れ端といわれる
布切れが納められています
 
この布切れは西域伝来の逸品とも言われています。



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天女も舞い降りる景色は、海外にも知られていました
 
江戸時代、徳川家康朝鮮との交流を始めると
朝鮮通信使を江戸城に招きました
 
帰路には駿府へ立ち寄り、江尻の湊で富士山を
見ながら舟遊びをしたそうです
 

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その時、入江には南蛮船も停泊していたそうです


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朝鮮通信使が駿府に滞在中、宿泊場所となった寺院
には東海名區(景勝地)の扁額が残されています
 
景観の素晴らしさに心を打たれたのでしょう
 
羽衣伝説は全国各地にあります
 
自然の素晴らしさが、
きっと羽衣伝説を生むのでしょうね
 

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今回のいい町は・・・
峠(さった峠)のミカンです♪
 


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山岡鉄舟が官軍に追われた峠(さった峠)
 
ここには、「親知らず子知らず」の悲話があります
 
追いはぎが通りすがりの青年を襲って命を奪いました
ところが、実は奉公先から帰省した息子でした
あまりのショックに父親は海に身を投げた
という悲しい出来事です
 
 
 

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今のには、ケーブルが山々に張り巡らされて
います
 
 
 

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山の上へはモノレールが引かれていました。
これらは、収穫したミカンを山から下す運搬具
のようです
 

 
 
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ここは温州ミカンの産地です
 
駿河湾に入り込む暖流のおかげで、温暖な気候
静岡では果物が美味しく育ちます
 



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昔は、収穫の時期になると、冬の日本海側から
出稼ぎの人が来る程沢山のミカンが採れました
 
 
 

 
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江戸時代、暗い夜道に追いはぎも出た峠の道は
一面ミカン畑となっています



 
 
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道行く人がちょっと足を止めてミカンを買っていました
 
 
 

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私は仲良しになったおばちゃんからミカン
頂きました
 
駿河は温暖な気候と、日本一の富士山を毎日
見ていて温和な気質の人ばかりです
 
親知らず子知らず」の悲話が嘘みたい・・・

 
 

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暖かな日差しを浴びながら
清水の方へ下って行きました

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今回のいい町は・・・
(さった)峠と由比の町です♪
 
 

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駿河一の難所・薩は、江戸時代に朝鮮通信使
通るため切りひらかれた道です
 




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山が海まで迫り出して、海岸線を通る旅人は波に
さらわれる危険がありました
 
 



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由比の宿場は、峠を越える旅人の宿泊や
休憩所として賑わいました
 

 
 

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弥次さん喜多さんもお茶と団子で一服したの
でしょう
 
 



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この愛きょうある弥次さん喜多さんは
望嶽亭・藤屋の御主人が描いたものです
 
 



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街の中には、大名が使用した本陣跡があって
往時の雰囲気が残っています
 
 


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向かいの染物屋さんは、3代将軍の頃に幕府の転覆を
謀った由比正雪の生家です
 
屋号はそのまんま「正雪」
店は400年も続いています
 
 



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そして、由比の名産と言えば
駿河湾で獲れる桜えびですね
 
 

 
 

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私は定番の桜えびのかき揚げを頂きました
サクサクして身はしっとり
 
 



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駿河湾は、桜えび、しらす、アジ 等々
美味しい魚の宝庫です
 
 



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腹ごしらえをして峠を登っていくと富士山
顔を出していました
 
この海岸線は東海道本線と国道一号線、
そして東名高速道路が通る日本の大動脈
 

 
 

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歌川広重もこの風景を描きました
 

 


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今では道が整備され、この景色を眺めるために
多くの人が訪れます
 
由比の町は
歴史を味わい
景色を味わい
そして、食を味わえる
楽しい場所でした

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