今回のいい寺は・・・
五島列島「手紙~拝啓 十五の君へ~」です♪
全国学校音楽コンクールの課題曲である
「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の作者で歌手の
アンジェラ・アキさんが春に長崎県五島列島の
若松島の中学校を訪れることから始まります
若松中の生徒たちはアンジェラ・アキさんに質問を
します
そんな中で合唱部の部長が
「大勢の人をまとめるにはどうしたらいいですか?」
と投げかけた問いに
「仲間を信じることからくる一体感が、
みんなをまとめるカギになるんじゃないかな。」
と答えていました
生徒たちは一年後の自分にあてて15歳の思いを
手紙にしたためていました
中学3年の4月、女子だけだった音楽クラスに
男子が入ってきました
音楽クラスは昨年の合唱コンクール長崎県大会で
銀賞を取ったので、今年は金賞を狙い九州大会へ
行きたい!と日々練習に励んできました
しかし、女子と男子ではやる気に温度差があり、
部長は戸惑ってしまいました
正直、女子だけなら今年は金賞が狙えるかも
しれないと思ったそうです。
おちゃらけた男子に女子が「ちゃんとやってよ!」と
言い、男子が反発したこともありました
若松島出身の音楽クラスの先生も、
「男子も頑張っていることは分かるけれど、今のレベル
では混声として出させられない。
去年から頑張ってきた生徒たちに申し訳ない。」と。
男子の気持ちを確認したところ、
「オレたちも出たい。」と涙を流した男子生徒がいました
先生は
「あんたたちを信じるけん、それにかけるけん、
混声で出す。」と決めました。
コンクールが近づくにつれ男子も真剣な顔になりましたが、
本番2日前の練習で、技術はともかく、生徒たちに本番を
迎える心づもりができていないと先生は感じました
「九州大会に行きたいんやろ?もっかいアンジェラさんに
会うんやろ?そしたら一回一回をなんとなく流したら
いかん。一回一回がチャンスだって!」
部長もコンクールの前日までみんなをまとめる
難しさを感じていました
前日、フェリーで島を出て長崎市内を目指しました。
そして、結果は銀賞・・・。
ニキビだらけの反発しておちゃらけていた男子も
一緒に涙していました。
男子生徒から先生へ
「合唱に出られないかもってときも、
自分達を信じてくれてありがとう。
人はやればできるって分かった。
やれば出来るって信じてがんばりたい。」
部長から男子に「ついてきてくれてありがとう。」と。
見ていないところで男子もがんばっていた、だから
銀賞だったけど、一緒にやってきてよかったと
語っていました
中学校を卒業して4月からは別々の道に進みます
中にはかつての先生と同じようにふるさと若松島を
離れる生徒もいます
4月に書いた手紙を3月にアンジェラ・アキさんと
ともに読んでみました。
「悩んでも転んでもつまづいても大丈夫だよって
4月の自分に伝えたい。」
と話していた生徒もいました
卒業式の日に先生はこう言いました。
「冬があれば、必ず春が来るけん。
キツイなって思ったときは友達を頼りなさいよ。
また、そんな友達でありなさいよ。」
小さい頃、ここで育って、外に出て学んできて、
何かここに返せるものって何だろうと考えてみた
そうです
「島にいるとどうしても外に目がいかない、何をしても
手が届かない感じがしてしまうけれど、全国学校
音楽コンクールという外に向かって練習することに
よって、たくさんのものが得られると思います。
そして、それが子供たちの夢になりました。
だから、私はこの島で合唱を教えたい」
ふるさとを出るということは不安ですよね
でもふるさとはいつもあなたのことを見ているし
別々の道を選んだ友達もいつでも心でつながって
いるのだから、安心して道を歩んでいきなさいと
伝えるために、先生は合唱を教えているのでしょうね
先生もよその土地にいくときに不安があったから
生徒の気持ちがわかるのだと思います。
荘川のそば道場の先生もおっしゃっていましたが
自分が体験したから伝えられることがあるのでしょうね。
金賞が取れなくて銀賞だった・・・ではなくて、
みんなでがんばった結果獲得できた輝く銀賞
だったのでしょう
「手紙~拝啓 十五の君へ~」の中でこんな歌詞があります。
人生の全てに意味があるから
恐れずにあなたの夢を育てて
ああ 負けないで 泣かないで
消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
自分を信じて進む勇気をもらった気がします
不安になったら、ふるさとに戻ってみたって
いいと思います。
ふるさとはいつでも温かく見守ってくれていますね
※「手紙~拝啓 十五の君へ~」はこちらで聴くことができます。
何度聴いても心に響いてきます
www.youtube.com/watch
写真は五島列島の風景です。
一番最後に沈む夕陽を切り撮りたくて福江島の
大瀬崎海岸を訪れました
途中、真っ青な海の高浜海岸も見つけましたよ!
是非夏休みに行ってみてくださいね
風待ちの福江島です♪
福江島から見た外洋は、風が強く白波が
立っていました

ここは昔、遣唐使が東シナ海へ渡る最後の
寄港地でした

大陸の文化や情報を得るために、危険を
顧みずに渡海した人々


長いもので数ヶ月も風待ち、日和待ちを続け、
天候を見定めて水や食料を積み込み大海原の
先にある唐に向けて命がけの船出をしました

私が訪れた日の海はとても荒れて見えました

島の方に伺ったところ
「こんなの荒れてるうちに入らないわよ~」って!
多くの犠牲者を出した遣唐使船

無事に唐へと渡った使節団の中に
最澄や空海などの留学僧がいました。
三井楽半島の先端、柏崎には空海の像と
「本涯ヲ辞ス」の碑があります。
空海が死を覚悟して出発したことを表す言葉です。
荒波をかき分けて進む船の船尾で航海の無事を
願う空海の姿がありました

命懸けで新しい教えを求めて海を渡る渡来僧と
宗教弾圧の荒波の中
命懸けでカトリックの教えを伝えた宣教師
道は違っても同じような情熱を感じますね

唐の都には、シルクロードを経て仏教や
キリスト教、ゾロアスター教などの宗教が
伝わっていました。
空海は長安の青龍寺で密教を学びました

そして、わずか2年で密教の正式な継承者と
なったそうです。
密教の継承者となった空海は、留学を終えて
福江島に戻ってきました

そして、空海はこの島から全国に教えを伝える
第一歩を踏み出しました

日本の西の果て福江島(みみらくの島)
ここは西方浄土に一番近い場所ともいわれて
いました

都に住む藤原道綱の母は「蜻蛉日記」の中で
亡き母の面影に逢えるという「みみらくの島」に
行きたいと願って
「ありとだに よそにてもみむ名にしおはば
われに聞かせよみみらくの島」
と病の床で詠みました

阿弥陀信仰が盛んな時代には、亡くなった
人があの世よこの世を行き来できる島と
考えられていたそうです!
隠れキリシタンの島へ行ってみたい!
という思いで訪ねた五島列島の福江島

ここは仏教伝来の地でもあり
浄土信仰の聖地でもありました

この歴史が、
宗教に対して熱い思いのある人々を育んだ
のでしょう

そして、宗教や文化を伝承する力となったと
思います。
東シナ海に突き出た半島状の三井楽地区

かつて遣唐使が歩いたかもしれない海へと続く道

「五島郷土料理 か乃う」です♪
旅の大事なポイントは・・・
誰と行ったか
どこに行ったか
何を見たか聞いたか
そして、何を食べたか だと思います。
五島に来たら五島の恵みを食べたい!
訪れたのは五島牛が食べられて魚のおいしいお店

もちろん五島はどのお店に入っても魚はおいしいの
ですが

このお店のスペシャルはコレ!
五島名物の「かっとっぽ」

内蔵を取りだしたハコフグのお腹に、味噌や酒、
みりんなどを入れて焼き、中を混ぜ合わせて
いただきます

しかもか乃うさんのはどこよりもビッグサイズ!
フグの身と味噌が絡み合う濃厚な味は、焼酎や
日本酒にぴったり

「問わず語らず名も無き焼酎」というユニークな
ネーミングの焼酎をお供に

ラベルには「製造方法はずべて蔵の秘密とします」
と記されていました

なんとも気になる焼酎です!
揚がったばかりの地魚も、お刺身や焼き物で

五島の鯖は格別です♪
肉厚で甘い

若大将が近くのバーを教えてくれました


貴重なお酒にマスターの楽しいお話

五島の夜はおいしかった

先日高島屋の物産展で五島の三井楽水産を
見つけて迷わず「鬼鯖鮨」を購入して
しまいました♪
豊かな恵みでおいしくなった鯖を甘酢に
浅く漬けているそうです。
とってもまろやかだったのでオススメです

☆三井楽水産☆
www.onisaba.jp/
外海からの移民です♪
五島の隠れキリシタンは、遠藤周作の小説
「沈黙」の舞台となった外海(そとめ)からの
移住者でした

江戸時代中頃の五島は、漁業が盛んで
農地は荒れていました

そこで、五島の福江藩はキリシタンの多く住む
大村藩に開拓移民の申し入れをしたそうです

弾圧の厳しい大村藩・外海の人々は、平穏な信仰を
願い新天地へ希望を持って渡って行きましたが・・・
「五島へ、五島へ、皆行きたがる。
五島は優しさ土地までも♪」
と歌っていた外海の人々には
「五島は極楽、見て地獄。」という厳しい現実が
待っていました

福江藩から与えられた地域は、開墾地として
適さない場所でした

人々は、やせ地を開拓しながら、密かに信仰を
続けたそうです


その姿を地元の人々は厳しい目で見ていました

外海の隠れキリシタンが五島の住民に
なるまでには、長い時間が必要でした

信仰も耕作と同じように時間と手間をかけて
大事に育てていくのですね

農耕に活躍した牛は、品種改良をして
美味しい「五島牛」となっています

三井楽の沖に浮かぶ姫島

昔は隠れキリシタンの住む島でした

戦後、住民がブラジルへ移民し、今は無人島に
なっています。
先祖の耕した土地と信仰を守るのは大変ですね

教会の鐘が鳴ると手を休めて、畑の中で
静かに祈りを捧げるそうです

ミレーを思い起こさせます

信仰はかたちだけに宿るものではない
と五島の教会を巡ると気付かされます。
暮らしの中に溶け込んだ信仰が、この地には
生きていると!
私が訪れた島には、平和な夕暮れしかなかった

今回のいい寺は・・・
楠原教会☆人が人を裁くということ・・・です♪
長崎各地で行われた隠れキリシタンを
取り締まる「崩れ」
五島では明治元年に始まりました。
久賀島を皮切りに、五島列島各地で
キリスト教信者が捕まったのです
久賀島では、200名の信者が捕まりました
そして、厳しい迫害が行われました。
わずか6坪の牢屋に全員が押し込められた
のです
8ヶ月間の密集地獄・・・
座ることさえ許されないのです。
幼い子も含めて42人の命が奪われました。
この話を聞いたとき、迫害の悲惨さに言葉を
失ってしまいました
現在は牢屋の跡に「牢屋の窄教会」が
建っています
なぜ、大禁教令を出した江戸幕府が倒れても
激しい弾圧が続いたのでしょうか?
遠藤周作の小説「沈黙」の中で描かれた迫害
よりももっと悲惨な現実があったように思います。
人間が人間を裁くことの恐ろしさを強く強く
感じました
厳しい弾圧があった江戸時代と明治の初めは
どちらも時代の節目のときでした。
どのように時代が変化するのか
変化に取り残されてしまうのではないか
五島の役人は、先の見えない不安から、
信徒への迫害をエスカレートさせたのでしょうか
五島のキリシタンは次々に捕まり、楠原でも
厳しい弾圧が行われました。
それでも棄教する人は一人もいませんでした。
弾圧の歴史を遺す楠原の牢屋は保存されて
いました。
屋内には、最後の晩餐の絵画と十字架の
イエス
そして聖母マリアの胸像が飾られています。
ここで信徒はゲッセマネでのイエスと同じように
死の恐怖と闘ったのでしょう。
殉教をも覚悟した辛い日々だったのでしょうね。
言葉にならない感情が胸を貫きます。
弾圧は3年の年月を経て終わりました。
迫害を乗り越えた人々には、信仰の自由が
待っていました
明治6年になって禁教令は廃止されました
その後、隠れキリシタンの人々は
カトリックの信徒になった人、
「カクレキリシタン」として先祖からの風習を
守った人、
仏教徒となった人
とそれぞれ違う道を選んだそうです
島の人々との融和を考えて仏教を選んだ人も
いました。
牢屋から解放されたときには、先祖から築いて
きたものを全て失っていました
弾圧が終わっても苦労は続いたそうです。
明治44年創立の楠原教会です
牢屋から出された信者が、こつこつと30年かけて
浄財と奉仕で建てたそうです
積み上げられたレンガが信仰の歴史を
感じさせますね
苦労の末に完成したときの喜びは何にも
代えがたい、ものだったでしょう。
静まりかえった堂内に歓声が聞こえてきそうです
島の人々は、太陽の下で祈りを捧げることが
できるようになったのです
高い天井は信徒の気持ちそのものに思えました
人々が駆け抜けた厳しい時代を、
そして人々が味わった信念を貫ける喜びを
想いながら目を閉じてたたずんでいました
大村領・外海から海を渡ってきた五島の
隠れキリシタン

彼らの歩んだ道は険しいものでした
その険しい道を乗り越えて、
今は信仰の自由の中
本当の意味で、静かに信仰の日々を
送っていることでしょう
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も♪
村おこしの探究もしてみたい♪
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!
