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皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
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今回のいい町は・・・
大宰府天満宮の門前です♪

 

菅原道真ゆかりの地 大宰府天満宮ですemoji

 

 

大宰府天満宮はこの地に埋葬された
菅原道真の墓所として
創建されましたemoji

北野天満宮と並び由緒のある神社ですemoji

大宰府天満宮には菅原道真にまつわる話が
沢山ありますemoji

 

 

 

門前には、名物『梅ヶ枝餅』を販売する店が
並んでいますemoji

 


 

大宰府へ左遷された菅原道真は屋敷で悲しい
日々を おくっていましたemoji

る日気分転換にと府内を散策した折に
地元のゴロツキに襲われましたが
逃げ込んだ先の老婆に助けられましたemoji

菅原道真を元気づけようともてなされたのが
梅ヶ枝餅といわれていますemoji

 

 

 

その時の餅は粟餅を梅の枝に挿したものでしたemoji

大宰府名物の梅ヶ枝餅は餡子の入った焼餅に
梅の紋が押してありますemoji

 

 

 

大宰府天満宮に参詣した折には
梅ヶ枝餅を食べてみましょうemoji

菅原道真が窮地に陥ったときに食べた梅ヶ枝餅 

天神様のご利益をいただけますようにemoji

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今回のいい寺は・・・
府の大寺、観世音寺の今です♪

 

大宰府の庇護を受けて繁栄した観世音寺

観世音寺の盛衰は遠の都と呼ばれた
大宰府の基盤の中に含まれて盛衰と
密接な関係がありましたemoji

幸いにも太宰府の力は遣唐使が終わっても
大陸との貿易は盛んに行われて衰えることは
ありませんでしたemoji

 

 

長い歴史の中で、創建当時の伽藍は台風や
火災によって失いましたが
今でも平安時代に
造られた多くの仏像が残されていますemoji

 

 

宝物館に入ると身の丈5mの馬頭観世音菩薩立像、
十一面観世音菩薩が迎えてくれましたemoji

その姿に太宰府の繁栄と観世音寺の隆盛
感じることができますemoji

 

 

隆盛を誇った大宰府も変化の時が来ましたemoji

平安時代の末期、武士が台頭してくると
宋との貿易で力を得た平清盛拠点を
大宰府から博多へと移したのですemoji

 


それを境に太宰府の役目が終わり
観世音寺の勢いも失っていきましたemoji

 

 

 

西日本随一の壮大さを誇った七堂伽藍は
再建されることなく、
境内には創建当時の
伽藍に使われた礎石が
無造作に残されていますemoji

 

 

 

今、残されている伽藍は江戸時代に黒田藩主と
博多の豪商浦氏の財に
よって復興したものですemoji

歴史の表舞台から消えた観世音寺

宝物館の仏像と鐘楼の鐘の音が
古の姿を今に伝えていますemoji

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今回のいい寺は・・・
観世音寺の鐘の音です♪

観世音寺には日本最古の鐘がありますemoji

京都・妙心寺にある「黄鐘調の鐘」と同じ型で
鋳造されて
兄弟の梵鐘と云われていますemoji

 
   



1300
年の時を経て今でも年に二回
大晦日と大宰府天満宮・神幸式の折に
黄鐘調の鐘声を聴くことができますemoji

 

 

 

菅原道真観世音寺の鐘声を聴き
漢詩を残していますemoji

「都府楼はわずかに瓦色を看、
   観音寺はただ鐘声を聴く」

観世音寺から離れた場所太宰府の南館で
詠みました

この漢詩の一節は唐の詩人・白居易を意識した
もの
と云われています


 

白居易は、地位の低い家柄で育ちましたが
優れた才能によって国の中枢に上り詰めた
役人です。

菅原道真と似ていて、出世の道を順風満帆に…
とはいきませんでしたemoji

策略によって失脚したこともありますemoji
 
後に、左遷の地から呼び戻されましたが
自ら都を離れ、地方役人の道を選びました。
晩年は、詩人として悠々自適な日々を過ご
したそうですemoji

お日様は高く上がり、睡眠は十分とったのだが、
まだ起きるのが億劫だ。
小さな家でふとんを重ねているので、
寒さは気にならない。

遺愛寺の鐘は枕を傾けて聞き、香爐峰の雪は
すだれをはね上げて眺める。
匡廬こそは、名誉をのがれる地。
司馬は、老後を送る官としては十分である。
心も身も安らかな所は、すなわち私が帰るべき
場所である。
故郷が長安でなければならないわけはない。

 

 

遺愛寺の鐘声と観世音寺の鐘声
梵鐘の音には変わりはないでしょうが
心に届く音色は違っていましたemoji

 

 

きっと飛梅』と伝わる梅の木は
白居易のような生き方を
伝えるために
都の屋敷から菅原道真のもとへ飛んで
いった
のでしょうemoji

菅原道真も心がけたのでしょうが
想いは
都に馳せるばかりemoji

最期まで
白居易が体得した境地に
たどり着くことができませんでした。 

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今回のいい寺は・・・
太宰府の戒壇院です♪

西海道諸国の僧侶を対象に授戒が行われた
大宰府戒壇院emoji

鑑真和上が東大寺に戒壇院で授戒を行ってから
7年後、観世音寺の境内に造営されましたemoji

 

 

天下三戒壇の一つ 西戒壇と呼ばれ
九州地方の出家者が僧侶となるために
授戒を行う場所でしたemoji

この儀式は戦国時代までの約八百年間
長きにわたって続きましたemoji

 

 

江戸時代になるとこの地の藩主・黒田家によって
境内の伽藍が再興され観世音寺から分離して
禅宗寺院となりましたemoji

 

 

 

境内には日本へ正統な戒律・授戒作法を伝えた
鑑真和上の供養塔

 

 

鑑真和上が請来したと伝わる菩提樹が生っていますemoji

 

 

戒壇院の本尊は説教印を結ぶ釈迦如来

今まさに出家者に教えを説く姿ですemoji

 

 

脇には右手に五輪塔を持つ弥勒菩薩

出家者に250の戒律を授けますemoji

右手に経巻を持つ文殊菩薩は智恵を授けます

多くの出家者が志を持って堂内に入り授戒を
行う石檀に上りましたemoji

 

 

最初は野に咲く一輪の花のように
やがて大輪の花を咲かす僧侶も・・・

 

 

授戒を受けた僧侶はこの門をくぐり
各地へと旅立っていきましたemoji

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今回のいい寺は・・・
大宰府の鑑真和上です♪

中大兄皇子が母・斉明天皇の菩提を弔う為に
建立を発願した観世音寺emoji

 

 

発願から
年月は経って
80年後emoji

東大寺を建立した聖武天皇の時代になって
観世音寺の 伽藍は完成しましたemoji

 

 

 

それから数年後
遣唐使船で日本へ渡ってきた僧侶が
大宰府の地に現れましたemoji

 

 

 

聖武天皇の懇願により、正統な戒律・
授戒作法を伝えるため
海を渡ってきた
鑑真和上ですemoji

日本へ行くことを決意してから
12年の歳月が過ぎてのことでしたemoji

鑑真和上は琉球諸島から九州へ入り 大宰府を
経由して平城京へ向かったのですemoji

聖武天皇は早速東大寺に戒壇院を造営しましたemoji

 

 

 

授戒僧侶となるために必要な儀式ですemoji

鑑真和上によって聖武天皇をはじめ多くの人に
授戒が行なわれましたemoji

 

 

東大寺につづいて東には下野・薬師寺、
西には大宰府・観世音寺に戒壇院を造りました。

東大寺と合わせた三カ所を正式な授戒をうける
戒壇の場とし
たそうです。

 

戒壇院が造営されてからは授戒を受けた者のみ
正式な僧侶と認められましたemoji

それまでは勝手に僧侶になり、農業から離れる人が
多かったそうですemoji

この授戒制度によって正式なルールができ
日本の仏教界に大きな変化をもたらしましたemoji

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