名古屋大須から新年のごあいさつです♪
新年明けましておめでとうございます


初詣といえば熱田神宮などの神社に参詣しますが、
名古屋では大須観音も有名です

私も大須観音に初詣に出かけましたよ~

一年の無病息災を祈願する方もいらっしゃいました

さて、「息災」とは災いに遭遇せずに無事に過ごす
という意味で使われますが、実は仏教用語で
「天才、病気、犯罪などの一切の災害を消滅させる」
ということを意味しています。
そして、消滅させるのは仏様の力だそうです

もちろん近所の氏神様にも新年のご挨拶に
伺いましたよ~

私たち日本人にとって神仏は心の中になんとなく
持っているものだと思います

新年には氏神様と仏様に一年の無事をお願い
しに行きましょうね

さて、大須観音の門前には大須観音通商店街が
あります

ちゃんちゃんこを着た少年がおだんごに熱い
眼差しを送っていました

正月三が日は多くの人で賑わったようです

大須観音の近くには成田山萬福院もあります

名古屋栄の成田山といわれみなさんから親しまれて
います!
雪がちらつく中、手と口を清めて

今年はたくさんのことにチャレンジし、実り多き一年
になりますように

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り
申し上げます


今回のいい寺は・・・
名古屋・大須観音の節分会です♪
正式には「福の神鬼追いの儀式」といいます。
室町時代には殿中で行われた儀式です★
大須観音の節分会では、寺社奉行が福の神・七福神を
引率して福の神宝船で栄から大須へとパレードします
大須観音に到着してから、福の神・七福神が捲く福豆と笑い声に
赤鬼と青鬼は慌てふためいて退散しこの儀式は終わります
福の神・七福神は地元財界のトップの方々が務めます。
かっこいい毘沙門天さんも登場です★
鬼も登場しました!!
ここからが、他の節分の豆まきとは違う風景になります

なんと鬼が豆まきをします!!
普段はこの香炉にお線香がたかれていますが、今日は節分会☆
メラメラと燃える炎に厳粛な気持ちになり本堂の中を覗くと・・・
堂内の本尊は秘仏なので、お前立ちの観音様がみえました。
ここには、伊勢神宮の神人より授けられた鬼面が寺宝として
納められています。
この鬼面を本尊御宝前に祀って加持祈祷を行い、参詣者の
厄難を払い、「七難即滅、七福即生」を祈ります

このありがたい鬼面に因み大須観音では「鬼は外」は唱えません
福豆と笑いで邪気追い払います

豆をまくのは、邪気をはらって春をよぶためです

豆まきは追儺の行事としておこなわれます。
豆は魔目、魔滅に通じるので、豆まき後に豆を年の数だけ
食べてみたり、寺社に奉納したりします
一般の方も豆まきをする事ができます♪
「福はうち~!福はうち~!」
豆まきの後は、本尊の千手観音菩薩に手を合わせます
下さいとお願いします。
人間が生まれてから600万年、植物が生まれて40億年、
もっと人間は自然にたいして謙虚でないと・・・」


いい寺【大須観音】についてはこちら↓↓
大須観音①→ e-tera.net/Entry/27/
大須観音②→ e-tera.net/Entry/28/
東別院界隈②です☆
東別院から大須観音に向かう道に仏壇・仏具の問屋街が
あります。
ビルの間には昔ながらの建物も点在しています



天満屋でランチを食べました

メンチカツ定食はボリューム満点ですね~
お店は近所の人で賑わっていました☆
天満屋の向かいにはこぢんまりとしたお寺がありました。
七面山 妙善寺です。
通称橘町の七面さまと親しまれています。
昭和20年の空襲で焼失した摩利支天堂と、増築した
内陣一棟を合わせて本堂・七面堂となっています。
違う造りの建物が合わさっていても妙に一体感があります。
山門を潜ると右側の樹木の後ろに石碑が並んでいました。
本尊七面女神像は徳川光友の腫物平癒のために
彫刻されたものです。
平癒後一度名古屋城に祀られましたが、
「城下の人々にもご利益があるように
」とこの地に七面宮を建立して遷されたそうです

先日訪れた矢場地蔵も同じように徳川光友により
城内から遷されましたね。
七面宮の額は光友の自筆だそうです

参道の石碑の中に観音様が祀られていました。
左手に浄瓶を持ち愛嬌のある顔立ちです。
石碑には三代目 中村翫雀、妻 妙 碑
と刻んでありました。
子孫は中村雁治郎、中村玉緒、林与一etcです。
中村家は上方を代表する歌舞伎の名門ですね

手前の線香立てには中村家の屋号「成駒屋」と
刻んでありました。
中村翫雀の詳細は↓
www.kanjaku.com/
こちらは三世・富士松魯中と書かれています。
邦楽の新内節家元のお墓です。
そして上方の落語家 林家正三の碑です。
徳川光友により建てられた橘座は、徳川宗春によって
空前の賑わいを呈し、上方役者が毎月興行を行って
大盛況となったそうです。
この石碑が歴史の証として境内に並んでいました。
石碑の隣に並ぶお稲荷さんで先客万来の願を掛けたのでしょうか。
今では御園座が名古屋一の興行場となっていますが、
昔はこの界隈が娯楽の中心地で商売も繁盛していたそうです。
欄間屋のご主人に今の大須界隈についてお話を伺いました。
仏壇は中国からの輸入が増えて職人が減っているそうです。
店の跡地は駐車場かマンションになっています。
「仏壇と同じようにマンションも箱物で、造るのには色々な
職人の手が必要だからそちらの職人が増えていくよ。
でも畳も欄間も需要が減ってしまった・・・。
昔ながらの職人も良い材料も要らなくなった。
昔の建物は棟梁が一手に引き受けたが、今ではデザイナー、
設計士、棟梁の順番で規格通りの物を造らされて、応用が
利かないので腕を磨く事ができないのだよ。」と。
ご主人はどこか寂しそうに話してくれました。
十分に乾燥させた銘木が立てかけてありました。
欄間以外に木製の家紋や建物の飾りなど色々な
仕事の注文があるそうです。
空き地が点々とありました。
長谷川仏具店でもお話を伺いました。
寺院用の仏具を造る若い職人が育っているよと
教えてくれました。
「是非こちらの作業風景を見なさい」と隣の塗装店を
紹介して頂きました。
残念ながら時間が間にあわなかったのでまた今度
訪れたいと思います。
大須では塗装が臭うと近隣の住人に嫌がられて、
ほとんどの塗り師が郊外に移っているそうです。
仏教は元々インド、中国から伝来しました。
最近は仏具なども中国からの輸入が多いそうです。
これも時代の流れなのでしょうか。
しかし職人を育てないと日本が失うものは大きいでしょう。
戦国時代から江戸時代、そして現代と大須の移り変わりを
見てきました。
今度は大須の町を形成する原点となった街、清洲に
行ってみます♪
今回のいい寺は・・・
東別院界隈です☆
東別院の北側に新しい門のお寺があります。
浄土宗西山派尾張藩主徳川光友公が創建した
栄国寺です。
切支丹遺跡博物館の石碑もあります。
石畳の参道の両側に本堂と御堂があります。
お参りしながら通り抜けていけるので、誰でも
境内に入りやすいですね☆
地蔵堂と釈迦堂の横に切支丹塚の入口があります。
この地で切支丹弾圧の幕府命令により、二千余りの
信徒が殉教したそうです。
その後、藩主徳川光友はこの跡地に
冥福を祈る場所として栄国寺を建立しました。
この顕彰碑には、尾張切支丹の殉教の歴史が
刻まれています。
三千人余りの受難者を思うと深い悲しみに自然と
手が合わさりますね。
1997年にカトリック名古屋教区が建立したそうです。
切支丹に寛容であった徳川光友も幕府の命に従うしか
ありませんでした。
ご本尊は「火伏(かぶせ)不思議の弥陀」と呼ばれ
防火にご利益があるのだそうです。
昭和20年の空襲でも、落下した焼夷弾が不発だった
のでこの一帯は火災を逃れたそうです。
西側から見た本堂の正面です。
中のご本尊は南側の側面から拝む事ができました。
左手の建物に「踏み絵」など展示して当時の歴史を
伝える博物館があります。
こちらが正面だったようです。
正門から外に出ると橘町の町並みとなります。
この地名は徳川光友によって建てられた
芝居小屋「橘座」に由来するそうです。
今では橘座の跡地にある愛産大高校の講堂で、
定期的に落語会が行われているそうです。
この一帯は古い建物が多く仏具職人の町となっています。
大須の仏壇街は問屋街と職人町に分かれているそうです。
水野仏壇屋さんで位牌の戒名彫りの工程を
見せてもらいました。
今は機械彫りが主流ですが、ご主人は今でも
手彫りをするそうです。
書家に習って鍛錬したとの事です。
機会があればこの界隈の職人さんを訪れてみたいです☆
東本願寺名古屋別院です☆
ここも大須の門前町を形成する寺ですね。
真宗大谷派の別院としては全国最大規模で、
尾張門徒には「東別院」 「御坊(ごぼう)さま」
と呼ばれ親しまれています。
尾張藩第二代藩主・徳川光友より織田信長の居城「古渡城」の
跡地約1万坪の寄進を受けて建立されました。
この城で信長が元服したそうです。
とにかく広くて大きいですね。
昔の本堂も名古屋城
と並ぶほどの大建築だったそうです。
この本堂は第二次世界大戦の戦火で全焼し1962年に
再建されたものです。
手洗い場の石鉢には漱水(そうすい)と彫ってあります。
「すすぐ」「口を洗う」「うがいをする」という意味だそうです。
仏教では人間の行為(はたらき)を身(からだ)と口(ことば)と
意(こころ)の三つで表します。
浄水で手や顔う事によって身を清め、口をすすぐ事によって
言葉を、そして身体を落ち着かせる事で意を清浄にするとの事です。
昔の本堂を図面通りに再現したそうです。
中に入って静かに手を合わせました

本尊は阿弥陀如来です。
本堂の隣には対面所という建物があります。
ここで定例法話が行われているそうです。
今日もお話を聞きに門徒さんが集まっていました。
この東門が一番古い建物です。
別院の東側には名古屋テレビがあります。
名古屋テレビの玄関前から東別院の参道が
始まっています。
きれいに歩道が整備されています。
この標識はインド玉石で出来ています

参道の所々にお釈迦様の生涯のモニュメントが置かれて
います。
「誕生」、「降魔成道」、「初転法輪」、「涅槃」、「伝教伝来」と
一生が描かれています。
お釈迦様が悟りを開かれた場面が描かれています。
東別院界隈は境内の裏側に徳川光友が建立したお寺や、
仏壇街で形成されています。
ここにも色々な歴史がありそうです♪
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も♪
村おこしの探究もしてみたい♪
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!
