禅マスターの伝道 in NBAです♪
90年代に黄金期を迎えたシカゴ・ブルズ
フィル・ジャクソン監督はマイケル・ジョーダンを中心に
個性ある選手を集めてチームを作りました

フィル・ジャクソン監督がとった作戦は・・・
『トライアングル・オフェンス』と呼ばれるものでした

コート上にいる5人の選手全員を協力させ、非常に
多様なバリエーションの攻撃によって、相手の防御
の的を絞らせず、効果的に得点するシステムです

このシステムによってシカゴ・ブルズは常勝チームとなり
最初の三連覇を成し遂げました

「私は人生で何度も失敗してきた。だから成功するんだ」
マイケル・ジョーダンの言葉は有名ですが、彼は一度引退
を表明し、プロ野球選手を目指します

残念ながら成功はしませんが、不可能に思えることにも
挑み、挑戦を積み重ねたかったそうです。
そして、シカゴ・ブルズに戻り新たな気持ちで、伝説の
第二章を作りあげていきました

ブルズに戻ったとき、チームのメンバーは
変わっていました
その新チームの中で異彩を放っていたのが
デニス・ロッドマンです

デニス・ロッドマンはプロの世界に入った当初から
ディフェンス力とリバウンドの名手として名を馳せて
いました

シカゴ・ブルズが初優勝する以前にデトロイト・ピストンズ
で連覇も経験していました

ただ、「リバウンドの名手」と言われる以上に『問題児』
として有名でした

激しいプレーをするあまり、ブルズの黄金期を支えた
スコッティ・ピッペンに大ケガをさせたこともありました

そんなバッドボーイ・ロッドマンをジャクソン監督が
シカゴ・ブルズに迎え入れたのです!
当初は、「チームがまとまらないのでは??」
「守備だけで攻撃の役には立たないのでは?」
と不安視する声もありました

しかし、禅マスター・ジャクソン監督には考えがありました

シカゴ・ブルズに入ったバッドボーイ・ロッドマンは周囲の
不安をすぐに消し去りました

禅マスター・ジャクソン監督は自身の哲学を用いて
ロッドマンに接し諭したのです

そして、ジャクソン監督に敬意を持つようになったロッドマン
は『トライアングル・オフェンス』の複雑な戦術を早々と
理解しました。
マイケル・ジョーダンに「ロッドマンは私を含む誰より
も早く、トライアングル・オフェンスを理解した。」
と言わしめるほどでした。
周囲には失敗してもロッドマンがリバウンドを取って
くれるという安心感もありました。
また、彼のリバウンドとオフェンスの技術はチームに
好影響を与えていました

フィル・ジャクソン監督の指揮により、シカゴ・ブルズの
選手はチームとしてよく機能し、マイケル・ジョーダン、
スコッティ・ピッペン、そしてデニス・ロッドマンの3人は
最強のトリオとしてセンセーションを巻き起こしました

選手の気持ちを掌握して、チームを作るジャクソン監督
の手腕は誰もが認めるものでした


ただ、経営陣の考えは違うものがありました。
ジャクソン監督がチームを去るとき、最強のチームも
終わりを迎えました

チームワークの大切さを「禅の書」をバイブルにして
伝えたフィル・ジャクソンは西海岸へと移り、現在
ロサンゼルス・レイカーズで指揮をとっています

戦術はジョーダンからコービー・ブライアントへと
受け継がれました。
ジョーダンは次世代を担う選手と認めていたのでしょう
試合中にコービーがジョーダンからアドバイスを受ける
姿も見られました。
ロサンゼルス・レイカーズは2000年から3連覇し
昨年2009年シーズンにもチャンピオンチームに
なりました

禅マスター・ジャクソン監督は今でもコートで伝道を
行っています

今回のいい町は・・・
ジョーダン選手とジャクソン監督とのキズナです♪
マイケル・ジョーダンといえば世界的に有名な
バスケットボールプレイヤーです。
その偉大な彼も、フィル・ジャクソンがシカゴ・ブルズ
の監督に就任するまで、一度もNBA優勝経験が
ありませんでした
ジャクソン監督が指導するようになり、チームは
変化していき、シカゴ・ブルズとジョーダンの全盛期が
訪れました
ジョーダンは翌年に一度目の引退をしますが、
カムバックし、再び3年連続NBA優勝を繰り
返しました。
フィル・ジャクソンは「禅の書」をバイブルに用いて
チームをまとめました。
マイケル・ジョーダンが必要としたジャクソン監督
はキリスト教の含みを持たせた「禅」の信奉者に
なり、プレーヤーを理解して規律を伝える方法
として自分の哲学を使いました
彼が大切にしたのは
「万物との一体感」
つまり『和』をもって取組もうということ。
それから、「無私の心」
つまり今この瞬間に集中すること。
その2つを選手たちに伝えました。
ジョーダンは試合後のインタビューで、
「ゲームの最後の場面で、禅のおかげで観客が
静かに感じられた。周囲の動きがゆっくり見え始め、
コートがよく見えた・・・」と話していました。
珍しいことが大好きなジョーダンは、ジャクソン監督
のスタイルが気にいりました
選手たちがひどいプレーをしていると、太鼓を叩いて
カツを入れるのです。
緊張状態にあるチームを落ちつかせるため瞑想も
させたそうです
ファンからのプレッシャーがあっても、興奮しすぎ
たり、集中を失ったりしないよう心掛けるとうまく
いくそうです。
シカゴ・ブルズはフィル・ジャクソンが監督を勤めた
8年間で6回、NBAタイトルを獲得しています
マイケル・ジョーダンのように素晴らしい才能に
恵まれたアスリートでさえ、成功には5人の選手の
ほかにコーチの助けが欠かせませんね。
マイケル・ジョーダンも、別のコーチのもとでは
プレーしないと語るほど、ジャクソン監督を信頼
していました
スポーツには技術だけではダメ、
心理的なものがとても大切ですね。
禅はただ単に宗教や東洋の文化というだけでは
なく、海外のスポーツでも活かされていることを
知りとても驚きました。
又、禅という言葉がZENという英語になり海外で広く
使われていることにもとても興味を持ちました!
ZENについても勉強してみたいと思います♪
神・マイケル・ジョーダンは『努力の人』です♪
マンハッタンのNBAショップでは少年たちが
目を輝かせていました

NBAで活躍した有名選手のサインや、現役選手の
写真パネルを夢中で見つめていましたよ

一際目立っていたのがニューヨーク・ブルックリン
生まれのスーパースター、マイケル・ジョーダンです

しかし、彼は生まれ持っての天才だったわけでは
ありません

マイケルは原因不明の鼻血を出しながら
生まれてきた赤ちゃんでした

なかなか退院させてもらえず両親に心配された
そうです

高校生のマイケルは身長179cm

周囲の誰もが彼がNBAで成功することを予想
できませんでした。
しかし、マイケルはそんなことではあきらめず、
ガールフレンドよりも勉強よりも常に背を伸ばす
ことで頭をいっぱいにしていました

何時間も校庭の鉄棒にぶら下がり、なんとか
背を伸ばそうとしたそうです

そんなある日、マイケルは原因不明の膝痛を
覚えるようになり、病院で検査を受けました

診断結果は急激に足が伸びようとしていること
によるものでした

191cmになったマイケルは、ノースカロライナ大学へ
と進学しました

ここでチームプレーとディフェンスの大切さ・面白さを
叩き込まれました

スミスコーチは選手たちにとてもきつい練習メニューを
課しました

私も学生の頃バスケ部に所属していたので想像が
つきます

しかし、目的に向かって全力で走ること、それはバスケット
ボールだけではなく、卒業し社会人になってからも個人の
大きな財産となることでしょう


マイケルはNBAで活躍するようになっても、シカゴ・ブルズ
のユニフォームの下にはノースカロライナ大学のロゴ
が入ったショーツをいつも着用していたそうです

NCAA(全米大学バスケットボール)では残り17秒で
放たれたマイケルのショットによりノースカロライナ大学
が優勝しました


これが、一躍マイケル・ジョーダンの名を全米にとどろか
せた試合でした

後に彼が、「フィルが僕のコーチでなければ辞める」と
言った程の信頼関係で結ばれたフィル・ジャクソン監督
は、安モーテルでビールをラッパ飲みしながらTVで
この試合を観戦していたそうです

マイケルのいるシカゴ・ブルズを2度の3連覇・6度の優勝
に導いた監督です

この頃、マイケルはまだ無名で、貧困の中にいました

マイケルが本当に苦しいとき、彼の心をよぎった風景は
実家の裏庭にある手作りのコートだったそうです

裸足で年上の友達や兄たちに混じって必死でプレー
していました

みんなが帰った後も遅くまで練習して・・・
スーパースターのマイケル・ジョーダンも、裏では想像が
及ばないほどの努力をしてきたことでしょう。
頂点を目指すということ、そしていったん頂点に立ち
ながらその位置を保つということは、実際はそんなに
簡単なことではないですね。
私は「神」ではなく『努力の人』だと思います。
だからマイケル・ジョーダンはプレイヤーとしてだけ
ではなく、人格者としても尊敬されているそうです

そして、いつまでも彼の神業的プレーは人々の心に残る
ことでしょう

NY☆ストリートバスケとヒップホップ文化です♪
ニューヨークはバスケットボールが主要スポーツとして
定着した街です。
それだけバスケの歴史に対する造詣も深い、
バスケのメッカです

バスケはボールとゴールがあれば一人でもできますし、
3人対3人でも5人対5人でもできる、どんな人でも手の
届きやすいスポーツです

バスケットボールプレーヤーにはアフリカ系アメリカ人
が多くみられます。
彼らの体格はスピードが必要とされるスポーツに
向いているそうです

マンハッタンでもバスケをする人をたくさん見かけました

街中でよく見かけるストリートバスケは1900年初期、
ニューヨークとワシントンD.C.で遊びの延長として
生まれました

ストリートバスケは「いかに観客を沸かして勝か」
という過程を重視したプレースタイルです。
しかも、ただの娯楽ではなく、DJによるヒップホップ
ミュージックが流れ、MCによる派手な実況、観客たち
による歓声やヤジ、プレーヤーによるエキサイティング
な試合があり、最高のエンターテイメント空間と言われて
います

もちろんハーレムに代表されるようなヒップホップ文化の
中にはバスケも含まれるのです。
ところで、ヒップホップの誕生の陰にはあるギャングの
存在があります

多くの若者が銃を持ち、傷つけ合う毎日が続くなか、
あるギャングのリーダーがこのような状況に嫌気を
さし、各地でパーティーを開き、皆が楽しめる場所を
つくりました

今まで反目しあっていたギャングたちが、暴力ではなく
ブレイクダンスのバトルでライバルチームと争うように
なったのです

そして、パーティーでレコードを回しながら、曲と曲の
間の5秒ほどの間をどうにかしたいと考えた少年が
いました

曲には必ず一番良いところがあり、一番良いところを
つなげたかった彼はターンテーブルを2つ使い、曲を
つなげて、音の中断を防ぎ、音でパーティーを盛り上げ
ました


それこそDJが誕生した瞬間でした

MCがDJを盛り上げ、フロアの熱狂は最高潮に…
今でこそ華やかで完全なビジネスとなったヒップホップ
ですが、始まりはディスコに行けない貧しい若者が
始めた小さなパーティーであったり、傷つけ合いでは
なく、楽しいひとときを一緒に過ごそうという単純で
心温まる理由でした。
マイケル・ジョーダンと宮里藍です♪
笑顔が爽やかでとっても親しみやすい
プロゴルファーの宮里藍さん

学生時代プロに転向し、国内ツアー通算15勝

南アフリカで行われた国別対抗戦でも勝利し
期待されて米ツアーに参加しました

当然、そこでも活躍してくれると周りの誰もが
思いましたが、彼女の前には大きな壁が
立ちはだかり、選手生命を脅かすほどの
大スランプに陥ったそうです

昨年7月、フランスで行われたエビアンマスターズ
では悲願の米ツアー初優勝を果たしました

その2ヵ月後の9月に米ツアー遠征先のホテルで
NBAで活躍したマイケル・ジョーダンの殿堂入りの
スピーチを聞きました

「限界と恐怖心は、幻覚にすぎない」
彼女は
「スランプのど真ん中で彼の言葉を聞いたなら、
『成功したから言えるんだ』と思ったかもしれない。
でも模索しながら、苦しみながら勝てたからこそ、
ぐっときた。」と語っていました。
今でも人気のあるスパースターにもスランプが
あった・・・
自分もそうだったけれど、神と称されたジョーダン
でさえ、小さくて地味な練習を重ねたのだろうと
思いました。
かのスーパースターでも落ち込んだ時期があった
のだ思うと「自分だけではなかった」と感じられ、
心が楽になったのではないかと思います

優勝がかかった3メートルのパットなど、自分が
一番苦しい、一番緊張する状況を想定しながら
練習をしているそうです

それまでは、実態の無いものを克服しようと苦しんでいました

しかし、スランプをのり越えた時

「幻覚だ、無いものだ」と気が付くところに
たどり着けたのだと思います

目の前に壁があるわけじゃない。
心の中にあるだけなのかもしれません。
スランプの時期があったことが大切だと思います。
誰でも失敗はあります。
その失敗から学び、克服していく・・・
それを忘れてしまわずに、いつまでも自分の
胸に持っていることが大切ですね!
人と人を、人と地域をつないでいきたい♡
地域に根差したお寺の発掘も♪
村おこしの探究もしてみたい♪
いい町.netで人がつながっていったら嬉しいな!!
