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皆様のご無事、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
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今回のいい寺は・・・
戦乱の世に散った細川ガラシャです。


大阪城の南側、玉造に《大阪カテドラル・聖マリア大聖堂》が
あります。
元細川家の屋敷内に建てられた教会です
ここは細川ガラシャ(玉)に関係した教会です。


DSC_1594.JPG

ガラシャは明智光秀の三女です。
織田信長の勧めによって細川家に嫁ぎ、細川忠興の正室
なりました。
本名は、細川玉(珠)です。

二人は仲の良い夫婦で二人の子に恵まれましたが、
父・明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ってしまいました。

その日から、逆臣(謀反人)の娘として苦しい日々が始まりました。
明智家以来の小侍従や細川家遠縁の侍女を伴って、丹後の
山奥に幽閉されてしまいました

「身を隠す 里は吉野の 奥ながら 花なき峰に 呼子鳥鳴く」
細川玉が幽閉中に詠んだ歌です。

※細川忠興は、逆臣の娘として殺されないように幽閉の名目で
匿ったそうです。

時代は違っても、被害者の家族も加害者の家族にしても
苦しみは大変なものですね。
加害者の家族は、土地を追われるように離れていくことも…



DSC_1617.jpg

越中井です。
大阪城の近く越中町にあった細川家屋敷跡です。
細川玉は二年後に豊臣秀吉の取り成しで大阪屋敷に
戻りました。
しかし、細川忠興は玉が外部と接触することを禁じた為
生活は幽閉時と変わらなかったようです。

豊臣秀吉によって許されても、身内によって監禁状態に
されていては、辛いですよね。
そして愛した夫には側室ができて、心の支えも失ってしまいました。
側近の者は、一生懸命に彼女を支えて励ましたのでしょう。



DSC_1677.jpg

細川玉の侍女頭は、細川家の遠縁で洗礼を受けていた
清原枝賢の娘マリヤ(洗礼名)でした。
マリヤによって細川玉は、キリストの教えに触れて心が
惹かれていきました。

どんなときでも神は見捨てずにいてくれますよ
キリスト教が彼女にとって救いの手となったのでしょう
家族にしても教えにしても、私たちは支えがないと生きていけませんね。

「生きて死ぬ智慧」の著者・柳沢桂子さんも病気の苦しみの
なかで般若心経と出会い、
般若心経は雨に濡れた私にさす傘でなく、雨雲を散らしてくれて
 私をカラッと晴れた気持ちにさせてくれました

と述べていました。


DSC_1599.JPG


監禁状態であった細川玉は、夫・細川忠興が豊臣秀吉の
九州征伐について出陣している間に、密かに教会へ
教えを聞きに行きました

苦しみの闇でこそ人の光は美しく輝く、
 そして感謝の気持ちで受け入れる


神父の言葉に感銘を受けた細川玉は、その場で洗礼を
受けることを懇願しましたが、身分を隠していたので
願いが叶いませんでした

その後、侍女達を教会に通わせて洗礼を受けさせ、
毎日一緒に祈りを捧げました
いつしか洗礼をと願っていたのでしょうが、九州征伐中の
豊臣秀吉が《バテレン追放令)》を出したため、教会で洗礼を
受けることはできなくなりました。



DSC_1610.JPG

そこでイエズス会神父の計らいで、侍女頭マリヤの手に
よって屋敷内で洗礼を受けることができました。

洗礼名《ガラシャ》(神の恵み)
苦しみすら感謝の気持ちで受け入れるキリスト教によって救われる
細川玉は《細川ガラシャ》となって謙虚で明るい性格に
なったそうです。

しかし、喜びはつかの間、すぐに悲劇が訪れました。
大名のキリスト教信仰が禁止されるなか、細川忠興
侍女達のキリスト教改宗を知ったのです
激怒した細川忠興は、改宗した侍女の鼻を削ぎ、屋敷から
追い出してしまいました。

細川ガラシャの苦難の始まりだったのでしょう。
そして歴史は関が原の合戦へと向かっていきました。



DSC_1606.jpg

細川忠興は東軍に付いたため、石田三成が細川ガラシャを人質に
取ろうとしました。
しかし、細川ガラシャはそれを拒み、家臣に自分を討つように命じました。

ちりぬべき 時知りてこそ、世の中の 花も花なれ 人も人なれ

本能寺の変で逆臣の娘となり、キリシタン禁止令が出されたなかで、
ガラシャを支えた侍女達を失い、人質となることは到底受け入れられる
ことではなかったのでしょう。

今が神のもとに行く時とさとって、命の果てる道を選んだ
思いました。
散り際の妙というものでしょうか。
細川ガラシャによって細川家は守られました。



DSC_1607.jpg

焼け落ちた屋敷からオルガンティノ神父がガラシャの骨を拾い、
堺のキリシタン墓地に埋葬されました。
後に細川忠興は神父に依頼して教会葬を行い、キリスト教を
受け入れなかった細川忠興も葬儀に参加したそうです。

その後、遺骨は大阪の宗禅寺へ改葬され、墓所は何箇所かに
造られました。
そのひとつが京都 大徳寺・高桐院ですね。


DSC_1615.jpg

玉造の聖マリア大聖堂には、細川ガラシャを慕う方が訪れて
いました。
細川ガラシャの人生と向き合い、みなさんそれぞれに思うところが
あるのでしょうね。

次は、再び大徳寺・高桐院を訪れてみます

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Comment
>まめちゃん♪
ガラシャは自分を愛してくれなくなっちゃた夫のお家を守るために自らの命を絶ったんだよ!
それってすごいよね@@
クリスチャンは自害する事は許されないから、家臣にさせたんだけど、そこまでの愛って深いよね。
愛する人のために何ができるかなー(uωu)
チエ URL 2008/06/14(Sat)13:11:30 編集
無題
「ちりぬべき 時知りてこそ、世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
・゚・(ノД`)・゚・。 すごいグサっときた。。。
今、こうして自由に生きてる事に感謝しないといけないって痛感したよ。。。

改めてガラシャの芯の強さを感じたし、自分が想像する以上に厳しい時代だったんだろうなって思う。目に見える・耳に聞こえるものだけが愛ではないんだよね。。。心で感じれるモノ・・これはホントかけがえのないものだからね。。。それに忠興が後に気付いてくれたのはホント、ガラシャにとって救いだったでしょうね。きっとあの世で素敵な夫婦生活送れてるよね。。。
心の支えって宗教でも友達でも愛する人でも。。。兎に角、必要だよね。。。
まめ 2008/06/10(Tue)10:43:27 編集
>フォレ様
ガラシャは夫の愛を失い、心の支えを無くしてしまいました。
そして、石田三成に人質にされそうになりましたね。
…ガラシャはついに決断を下しました。

大阪屋敷での最期の姿を描いたものですが、不思議と悲しそうには見えませんね。
命を絶つときにも穏やかな顔で迎えることができたのでしょうね。

キリスト教と出会い、どんなに苦しくても、どんなに悲しくても彼女は幸せを感じた瞬間があったのでしょう!

それが今こうして玉造教会のガラシャの姿に描かれているのではないでしょうか。

確かに現代の日本人には宗教というものが身近には無いような気がします。
おっしゃるように宗教がきっかけであっても、その人が自分らしく、輝けるようになるのであれば、それは本当に素晴らしい事だと思いますよ!!
チエ URL 2008/06/09(Mon)22:58:05 編集
>向日葵サン♪
人が苦しんでいる時に誰かに手をさしのべることになるかもしれない・・・
それとも自分が手をさしのべてもらう立場になるかもしれない・・・
けれど、人が苦しんでいるときにいかに手をさしのべることができるのかという事は、宗教に関係なく人間のあるべき姿なのではないでしょうか。
秋葉原の事件の映像の中で、救急車が着くまでの間、懸命に心臓マッサージをする男性の姿を見ました。
見ず知らずの人であっても必死に、どうにかしてあげたいという気持ちの表れですよね。
そして、それが人間の本質ではないかなと思い、ハッとさせられました。
私も誰かが苦しんでいる時に、無心で手をさしのべることが出来るでしょうか!
チエ URL 2008/06/09(Mon)22:28:08 編集
>yamatoサン♪
私はどこか特定の宗教を信仰しているわけでもありませんが、宗教に救われてる人ってたくさんいるのだろうなーって思います。
宗教を信仰するきっかけが、何かにすがりたいというキモチだったり、「どん底で。。。」という状況からであったとしても、結果明るく生きていく事が出来たり、人にやさしくしてあげられたりする事ってすっごくステキなことだと思います!
中学3年で初めて訪れたアメリカ・・・
ホームステイ先のパパとママはクリスチャンでした。
食事の前には感謝し、日曜は家族でミサに行く。。。
10年経った今でも交流があります!
いつも「あなたは私達の娘よ」と言ってくれます。
チエ URL 2008/06/05(Thu)10:27:08 編集
そうだったんですね!ガラシャさんは・・
いつの世も家族がいる故の楽しみもあり喜びもあり、苦しみや悲劇もあるんですね。
細川珠は父の謀反によって、嫁いだ細川家にも迷惑がかかるといかほど心を痛めたことでしょうね。
でも、幽閉を甘んじて受け入れている間に夫に側室ができてしまえば、心の支えを失うのは当然の事でしょう。
でも、その事でキリスト教と出会って、自分らしい良さを発揮した自分になれたんなら良かったと言えるんじゃないかと私は感じました。

苦境の中で宗教に出会うって・・・
なんか、現代の日本人にはうさんくさいイメージかもしれませんが、それによって、自分が人間的に成長し、生き生きと人間らしく生きていけるなら、逆にこれほど素晴らしいことはないんじゃないかと思いました。

ガラシャの晩年を記事に紹介されてましたが、とても、美しい人生の最終章じゃないかって感じましたよ。
恨んでもおかしくない状況の中で、嫁いだ細川家を守ったわけですから・・
でも、その美しき生き様は後世の私達に確実に何かを残してくれていますよね。

今日も、いい話をありがとうございました!(NHK松平アナ風(笑))
フォレシャ 2008/06/04(Wed)00:51:56 編集
無題
「生きて死ぬ智慧」の柳沢佳子さんは般若心経の「空」入った時の事をある僧侶の方と対談なさっていました
そのとき僧侶の方が、寺に篭り一心に念ずるだけが修行ではなく、つらい闘病生活を送るのも修行と同じ、その中で心の内に開けていった「空」の境地は一つの哲学で立派な悟りです!と。柳沢さんの考えは学者らしく「形」としてとらわれず細かい点の集合が物質を作っており、全てが有るようで無い!それが「空」なのだと感じたそうです
其々に感じる宗教感があって良く、生きて行くことで言葉で言い表せない境地は誰にでもありますね
学校で少しだけ触れたキリスト教と仏教の世界、境遇や受け止める心で違って良いし、日本人の宗教感で外国人には理解できない所かも(笑)実際宗教を持ってないことは「白痴」と同じと云う石頭牧師もいましたから m(_ _)mシツレイ
向日葵 2008/06/03(Tue)14:56:44 編集
無題
私の友人にも、宗教に救われたと心底思っている人がいます。
彼女は、一時は、多額の借金を背負い精も魂も尽き果てたという感じでした。
頼るべきご主人は、あくまでマイペース。仕事さえあれば、謝金なんてすぐ返せると思う人だったようです。
親元はお金持ちでしたが、父の反対を押し切って結婚した手前、援助は受けられない。
母と兄もいましたが、その頃は既に他界していて、心情的には天涯孤独だったようでした。
そんな時、ある宗教に出会ったようです。
彼女は、そこで“どんな苦労も考え方ひとつ”だということを学んだようでした。
相手を攻めるばかりでなく、自分がどうだったかを見つめなさいと言われたようです。
そして、ご主人がやる気になるように努力しなさいと言われたそうです。
普通なら、とても納得できる話じゃありませんが、彼女はといえば、何故かすんなり受け入れられたと言っていました。
それから、精神的なゆとりが出てきたといっていました。
今も、相変わらず謝金があり、綱渡りみたいですが、それでも以前のような辛さはないようです。
そんな彼女が、先日、笑いながら電話でこう言っていました。“自営の営業活動が疎かになるほど、宗教活動に時間を使ってる”“バカでしょ”“でも、離婚せずになんとかやってこれたのは宗教のおかげなのよ”ってね^^
yamato 2008/06/03(Tue)01:23:19 編集
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