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今回のいい寺は・・・
長篠城の攻防です。

長篠の合戦といえば、織田・徳川連合軍 対 武田軍
の合戦です


DSC_0811.JPG

武田騎馬隊を迎え撃つ織田・徳川方鉄砲隊
この戦で武田方は、総崩れとなり甲州・甲斐まで
攻め入った織田・徳川軍によって武田氏は滅んで
しまいました


DSC_0806.JPG

織田・徳川軍の取った戦術は、武田軍の騎馬隊を
阻止するための土塁に馬防柵と鉄砲の弾込めによる
ロスタイムをなくす《三段撃ち手法》でした
この戦により全国に鉄砲の威力が示されました。
そして、多くの大名が鉄砲を求めるようになりました。


DSC_0813.JPG

武器が勝因だといわれていますが、実際には、土塁と
馬防柵によって進路を阻止されたうえに、火縄銃が発砲した
大轟音に騎馬隊の馬が驚いて大混乱に陥ったことが武田軍の
敗戦の主因だそうです


img-729123349-0001.jpg

映画「もののけ姫」の中で、自然の化身であるデイタラボッチが
自然を壊した人間に対して怒りを表した場面です。
自然の力の前では人間は無力であることを示していました。



b5c240d3.jpg

武器によって自然を征服しようとしたエボシも、自然の力に敗れ、
大事にしていた武器製造所を失いました。
そのことにより、自分にとっては「そこにいる人たち」が一番大切
だと気付いたのでしょう。

武器は万能なように思われますが、実際に勝敗を決めるのは
まず天候などの自然、そしていかに人心を掌握し家臣の士気を
鼓舞させられるか、最後に武器などの道具であると思います。



b7eb7cda.jpg

徳川家康は、長篠の合戦の前に武田信玄が率いる
武田軍と静岡・三方ヶ原で戦っています

武田軍相手では多勢に無勢でした。
しかし、徳川家康は負け戦になることが分かっていても、
人心を掌握するために籠城することなく戦に向かっていった
そうです。
やはり結果は惨敗で、九死に一生を得て浜松城に逃げ帰り
ましたが、負けると分かっていても相手に向かっていく姿勢を
見せたため家臣の心はひとつとなり、よりいっそう家康の
ためにつくし、支える存続となったのでしょう

徳川家康は、この戦を後の教訓とするために自画像を
書かせたそうです。
戦に負けた苦悩の顔ですね



85f6cadd.JPG

甲斐の武田軍は信州から天竜川沿いに南下して遠州に入り
徳川家康を倒して京都に向かうはずでした
ところが、武田信玄の病気により急きょ甲斐へ戻ることに
なりました。


DSC_0795.JPG

武田信玄は帰路の途中、伊那谷で亡くなりました。
武田方は、敵にそのことを覚られないように「影武者」を
立てたという話もあります。
黒沢明監督の映画「影武者」が有名ですね。
歴史に「もし」という言葉は無いでしょうが、もし武田信玄が
病で亡くならなければ、徳川時代は来なかったかもしれませんね。



b1fc9180.JPG

この武田家のお家騒動の間に事件が起こりました。
三河衆の奥平貞能・信昌親子が武田氏から離反し、
飯田街道の要所・長篠城を攻略されて徳川方に付いて
しまったのです。

※この奥平氏の子孫が、後に中津藩の当主となり幕末の
家臣には福沢諭吉がいました。


DSC_0817.jpg

再び甲斐を出陣した武田勝頼率いる武田軍は、まず裏切った
奥平貞能・信昌親子の居城・長篠城を攻めました
落城間近となるところまで追い詰められ、岡崎に控える
織田・徳川方援軍派遣を求める使者を送ることになりました。



DSC_0823.jpg

岡崎への使者に立ったのが鳥居強右惠衛門でした。
彼は敵陣を掻い潜り見事、岡崎にたどり着き使命を果たしました。
さっそく長篠城援軍が向うことを知らせようと戻りましたが
途中で武田軍に捕らえられてしまいました


DSC_0834.jpg

囚われの身となった鳥居強右惠衛門に武田方は、
岡崎から援軍は来ないから開門するように」と
味方に言うように強要しました。
しかし、彼は味方に向かって
もうすぐ岡崎から援軍が来る 暫くの辛抱!
と大声で伝え皆を奮起させました

そのため、味方の目の前ではりつけにされてしまいましたが、
長篠城は落城することを免れました。
武田軍は長篠城と織田・徳川軍を相手に二手に分かれて
戦に挑み大敗を喫してしまいました。

人の心は力で威圧的に抑え込もうとしても上手くは
いかないものですよね。
窮地に追い込まれると、反発する力が生まれ、
逆に力を発揮することもあります

力のあるといわれた武田軍よりも、「必ず援軍に行く
と行った織田・徳川軍への信頼心が人の心を動かし
みなをまとめるという結果に結びついたのだと
思います。



DSC_0770.JPG

長篠の合戦の地・設楽原では7月に決戦場まつり
行われています。
暑い中、重装備の鉄砲隊は大変そうですが、
見応えがありそうですね!


b9b9107c.JPG

長篠の合戦の手柄により徳川家康の長女・亀姫は
奥平信昌の妻となり、4男1女に恵まれました。
信昌の子供たちはいずれも家康の子孫として厚遇
され、分家を「徳川家御連枝」として興す事も許されました。
そして、本家は江戸時代中期に中津藩に移封して
明治時代を迎えました。


DSC_0790.JPG

中津の菩提寺・自性寺の墓所に入る門の鬼瓦です。
奥平家の家紋も入っています。
中津藩への移封に合わせて菩提寺も移転しました。



DSCN1126.jpg

奥平氏は今川義元、徳川家康武田信玄…属する
ところを変えてきました。
武田信玄の死後は、息子・武田勝頼が大将の器
ではないと見抜き、再度徳川方に帰属しました。

そのために武田方の人質であった奥平貞能の
二男は殺害されてしまいました。
明治になってそれを知った福沢諭吉は、二男の
ために供養をしたそうです。



次は、鳥居強右衛門が助けを求めに行った徳川家の
故郷・岡崎城に行ってみます

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Comment
yamatoさん♪
気象まで操作できるようになるのですか@@!!
知りませんでした!!!
技術ってすごいですね~!!
今年は梅雨に雨が少なかったですね。。。
最近台風の影響か雨が多いですが!

自然は自然のままであって欲しいですね!
自然を破壊しない技術を見つけてもらいたいですね!!!
チエ URL 2008/09/20(Sat)18:02:24 編集
無題
近年、アメリカや中国では、気象を操る研究が行われているそうですよ(先のオリンピックでは、雨を事前に降らせたらしいです)
科学者は、干ばつや洪水被害を無くそうとしているかもしれませんが、これが兵器として使われるようになると、核兵器以上の破壊力を生むでしょう・・・。
科学はどこまでも発展していきそうですが、気象に限らず、神の領域には、手を出さないほうがいい気がします。
人が、自然のすべてを制御できるはずはありませんからね・・・。
yamato 2008/09/08(Mon)22:03:02 編集
フォレダイラさん♪
自然をないがしろにしたら社会も人間も大変なことになりますよね!
だってこれだけ猛暑なのは異常だなって思いますもん><!!
名古屋は元々暑いのですが、近年ほーーんとに暑い@@って思います。。。

「人間は自然に生かされてる」という謙虚な姿勢を持ちたいものですね!!

命懸けのミッションも感慨深いですね!
鳥居さんの気持ちがみなに伝わったのですね!!
チエ URL 2008/09/06(Sat)11:59:26 編集
>まめチャン♪
そうだよね!
昔は文明も発達していなかったし、自然には
適わない~~><って感じだったと思う。
だからこそ自然に対する畏怖の念や、自然の惠をいただいての畏敬の念、、、そうゆうのを持っていたなんだろうね!
最近は「自然ってこわいわ~><」
「日照りが続いて生きていけない~」
なんてことがなくなったし、身近に自然がなくなったからそうゆうことを考えなくなったんだと思う。

それから、リーダーは人の心を掴むのがうまい人であると思うな。
心を掴むのもそうだあけど、それだけじゃなく、人の心を汲み取ってあげられる人であって欲しいよね!!
チエ URL 2008/09/06(Sat)11:54:20 編集
>向日葵サン♪
せっかくお膝元ですから、家康については
もっと勉強してみたいな~なんて思うように
なりましたよ(^o^)
戦国時代にあまり興味が無かったのですが、
戦国武将の人格などを知ると。。。面白いかも!!
と思えてきました!
三河の方にも行ってみようと思います~~!!
チエ URL 2008/09/06(Sat)11:49:48 編集
>yamatoサン♪
そうですね~!!
勝敗を決めるのに順番は無いかもしれませんね!
ただ、自然には適わない><!!
って感じですかね~(^o^)
最も、近年文明が発達して自然には適わない><という感じではなくなっているかもしれませんが!
自然というより天災の方が正しかったかな??
チエ URL 2008/09/06(Sat)11:46:46 編集
無題
長篠の合戦がそういう史実だったんですか!?まあ、史実は時を経るごとに新しい説が発見されてるんでそうなのかもしれまえんね。
自然の力には叶わない・・同感です。自然をないがしろにしたら社会も人間も大変なことになります。
「人間は自然に生かされてる」という謙虚な姿勢を持ちたいものです。

あと、人心を掌握した鳥居さん?でしたっけ?の命がけのミッションや徳川家康の負け戦覚悟での三方が原の戦い。
すごい、感動しました。

本当に、人心掌握は組織発展の要諦です。
自然・人心・そして武器か・・
その通りですね。チエさんの視点は面白いけども、的を得てる!!
フォレダイラ 2008/08/16(Sat)17:29:52 編集
無題
自然の力の前では人間は無力である

ホントそうだよね。

家康ってホント賢い人だったなって思うんだケド、人の心を掴むのがうまかったんだろうね。。。

心無くして物事は何も進まない。
心無いものは、安いメッキの如くすぐに剥がれて企みが表に出てしまうよね。

心を掴まれると信じてしまうよね。。。

人の心をもて遊んではいけないね

(oД ○;)エェェェェ  本編と全く話がかみ合ってないかも(爆)(´∀`;A ごめえええん
まめ 2008/08/06(Wed)23:41:09 編集
無題
負けて逃げ帰って時の家康画は有名ですね
ドラマでもよく取り上げられて・・・

良くも悪くも天下人なる「器」が違いますね
なるべくしてなったと思います

東の外れの小さな島国で300年近い年月を安政に(対外的に)保ったことは大きいとおもいます
日本独自の文化や武士社会での秩序は居間に通じるところ大と。
今になって、徳川家康の大きさがよく解ります

向日葵 2008/08/04(Mon)16:45:08 編集
無題
勝敗を決する要素に、順序はないと思いますよ。
しいてあげるとするなら、一番は補給ですね。
太平洋戦争では、明らかに戦意が上だったはずの日本が負けたのは、資源もさることながら、米国の技術力があってのことです。ベトナムの例もありますが、それは米国の国内問題も絡んでいるので比べる術もありませんね。
勝敗を決するのは、すべての要素のバランスがいかに取れているかです。

とドライに書いてみましたが、言いたいことは、とてもよくわかります^^

こと日本においては、東海、東南海、南海地震の3つが同時に発生すれば、戦争どころではありませんからね。
yamato 2008/08/03(Sun)00:44:36 編集
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