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今回のいい寺は・・・・・
侠客・清水次郎長です。


 cafa5f31.jpeg
 
静岡から見た霊峰富士です
 
文部省唱歌 富士山
あたまを、雲の上に出し、四方の山を見下ろして
雷さまを下に聞く、富士は日本一の山
 
明治36年読売新聞で著名人千人を取り上げる「千人評」を
催した時、乃木大将、福沢諭吉らと並んで清水次郎長
取り上げられました。
 
そのなかで
「さぁ来いと、富士を背中に背負って立つ、男の中の男一匹」
と、清水次郎長を評しています
 
 


 DSC_0008.jpg
 
富士山の前に広がる駿河湾です
対岸が伊豆半島です
駿河はアイヌ語で、トリカブトを意味します。
猛毒のトリカブトは、使い方によって薬にもなるそうです。
 
この湾は海底が深く暖流が入り込むため、沿岸と湾の
真ん中では気圧が違うそうです
沿岸では穏やかな海でも中心部に低気圧が発生する
ことがあります。
晴天でも台風のようなシケとなって航行する船に襲い
かかるそうで、トリカブトみたいに取扱いを間違えると
大変なことになることから駿河湾と名がつきました。
 
若いころの清水次郎長は、粗暴な振る舞いで世間を
困らせ、家族にとって駿河(トリカブト)のみたいで
扱いに難儀したそうです。


 DSC_0001.jpg
 
甲州(山梨県)から駿河湾に注ぐ、富士川です。
戦国時代には武田信玄が甲州から富士川を南下して
今川氏を追い出し、駿河国を領地にした時期もありました。
甲州と駿河を結ぶ重要な川で、江戸時代にはこの水運を
使って甲州年貢米が清水港に納められ、塩が甲州から
信州に運ばれました


 bin0403191707570010.jpg
 
安藤広重の描いた清水港です。
徳川家康が駿府城を築城した時には、清水港から巴川を
上って資材が搬入され大阪冬・夏の陣では、多くの徳川
軍勢が清水港から大阪に向かいました
 
兵員や物資の輸送に尽くした功によって富士川から駿府の
安倍川までの海上輸送は、全て清水港の廻船問屋だけが
取り扱う営業特権を徳川家康から与えられました。


 c0bb201f.jpeg
 
港には広大な幕府蔵屋敷が建ち、納められた甲州年貢米
千石船に積まれて江戸浅草河岸まで運ばれました
清水港は廻船問屋を中心に物資の集散地として栄えたそうです。
 


bd116a32.jpeg

清水次郎長の養父は、甲田屋という米屋を営んでいました。
 
清水次郎長は米屋の跡取りとして安定した暮らしを望む
ことなく博打場での刃傷沙汰から清水港を飛び出して
しまいます
 
西に向かった清水次郎長は、三河で路銀(旅費)に困り
寺津の治助親分の所で草鞋をぬいで、侠客の修行に
励みました。
腕と度胸を磨いて清水に戻った次郎長は、早速けんかの
仲裁という大仕事をこなして名が知れるようになりました。



 ff6e1053.jpeg
 
喧嘩の仲裁で男を挙げた次郎長一家の元には、多くの
渡世人が訪れました。
敷居を跨いだ渡世人は客として食事の世話をしますから、
数十人の飯を食べさせるうちに金回りは追いつかず質に
出す家財道具も無い状態が続いたそうです。

親分稼業も大変です。
私利私欲ばかりを考えていたらとても務まりませんね。
渡世人が出立の時には草鞋銭を持たせますから一宿一飯
の恩は、決して忘れないものでした。



 DSC_0169.jpg
 
「切った、張った」の世界を生き抜き東海一の大親分
となった清水次郎長です。
義理と人情に厚い侠客・清水次郎長の活躍は、時代劇で
取り上げてご存じですね。
千人評で「富士を背中に背負って立つ」と評されたのは
後の活躍でした。
 
「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われ、徳川幕府を
倒して世間が湧くなかでした。
徳川幕府の家臣を引き受けて清水港で迎え、生活に困らない
に世話をしたそうです。
 
そして、大政奉還で将軍職を辞した徳川慶喜が静岡で
暮らすことになり、新門辰五郎に見込まれて清水次郎長は
警護役を任されました。
 
世の中が明治新政府、文明開化と進むなか歴史の
表舞台は知られていますが、江戸城開城後の幕臣の
行き先は知らなかったですね。
この功績が「富士を背中に背負って立つ 男の中の男一匹」
といわれ弱きを助け悪に立ち向かう清水次郎長の真骨頂
だったのです。
 
 


f45f6052.jpeg
 
清水次郎長は幕臣の就職先を斡旋するために三保の
塩田や有度山の開墾、相良の油田開発と色々な事業と
関わりを持ちました。
廻船問屋には蒸気船による横浜との定期航路開設を説き、
静岡茶の輸出会社設立に尽力しました。
私欲の無い次郎長は、自ら事業を行って財を成そうとは
思わなかったみたいです。
その代りに船宿「広末」を開業して、悠々自適な生活を
おくったそうです。
 
次は次郎長が若い頃、侠客の修行をした三河・寺津に
行ってみます
 

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Comment
無題
富士山、いいですよね~!
見てるだけで雄大な気持ちになります。

富士山の見えるところで、写真三昧な1年を過ごす・・
現実的には不可能ですが、漠然とした夢です。

いい景色との出会いは心を豊かにしてくれるように思います。
それを残せるなんて、贅沢な趣味だなって思います。
フォレフジヤマ 2008/10/01(Wed)15:14:19 編集
向日葵さん♪
清水次郎長親分は色々なことをしたんですね!
次郎長の生家を訪れて初めて知りました@@

甥っ子が生まれました^^
さて、男らしく育ってくれるのでしょうか~~~(笑)
チエ URL 2008/09/22(Mon)16:28:01 編集
無題
清水の大親分は幕臣の面倒もみたのですか
突然禄高無くなり、路頭に迷うばかり大変な作業でしたでしょうね。

「武士は食わねど、高楊枝!」と空元気なお侍、せっかく江戸城が無血開城されたのに、むさ苦しいお侍さんは扱いが難しく、旧幕府方も大いに助かったでしょう
男気のある人だったんですね

今、女の人は元気ではつらつとしているのに引き換え、男性方はあまり・・・
「喝!」を入れて欲しいです(爆)
向日葵 2008/09/18(Thu)17:02:42 編集
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