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今回のいい寺は・・・・・・
大浜の寺町界隈です。


 72c71f7c.jpg
 
西三河の港町・大浜には、由緒のある寺院が
集まって寺町を形成しています
 
大浜は戦国時代に徳川家の国際貿易港として
賑わいました。
江戸時代には、沼津藩・水野家の力により幕府
年貢米の集散地となり地場産業の輸送港として
潤っていました
 
特に西三河で作られる三州瓦の需要が江戸や
京都で多かったそうです
大浜は海運の拠点となり、順調な発展のなかで
寺町を守ってきました。



 b7eb7cda.jpg
 
大浜のある西三河地方は、浄土信仰の厚い地域でした。
戦国時代に徳川家康・人生最大の危機の一つに
挙げられる事件がありました
三河で浄土真宗の信者が自分達の農地を守るために
起こした一向一揆では、家康の家臣の中にも浄土真宗
の信仰を重んじて一揆側に付いた者もいたそうです
 
徳川家康三大危機 三河一向一揆で家臣の造反
               武田信玄との三方ヶ原合戦
                                      本能寺の変と伊賀越え



 f1ab3d2c.jpg
 
この西三河の浄土信仰の基を築いたのが浄土真宗
蓮如上人でした。
蓮如上人は、応仁の乱で混乱する都で比叡山衆徒
迫害を避けて西三河・西端(にしばた)に下向しました。
そして、この地を宗門再興の拠点として布教活動を
したそうです

※500年前の絵図です。
  碧南市はほとんど海の中ですね



 DSC_0362.jpg
 
西端には蓮如上人が開いた寺があります。
応仁年間に建立したことから応仁寺といいます
蓮如上人の布教活動の拠点となった由緒ある寺
ですが、本堂が建つだけでお坊さんが住む庫裏
ありませんでした
 


 9c5177ba.jpg
 
蓮如上人が西端を去ったあとは、村人が管理する
寺院として受け継がれ、今でもお坊さんを迎えずに
蓮如上人の帰りを待ち続けているそうです
 
無住寺院ですが、本堂内には明かりが灯され仏飯
お供えしてありました
地元門徒の皆さんで応仁寺を守っているのですね
 


 DSC_0289.jpg
 
蓮如上人の布教により大浜にも本伝寺、西方寺
大寺院があります。
浄土真宗の寺院は伽藍が大きく装飾品が綺麗ですね
門徒の皆さんの寺を守る気持ちや信心の深さを感じます。

京都・本願寺の屋根瓦は、ここから船で運ばれた
三州瓦を使いました 
真宗寺院の需要が三州瓦を支えたそうです。

確かにこの辺りには瓦工場がたくさんあります
 

6a30ba9b.jpg
 
大浜の海徳寺には丈六(4.85m)の阿弥陀如来が
祀られています。
座ると実際には2.8mですが、大きくて顔が拝めない
ですね

丈六は仏像の高さの基準値だそうです。
 
この阿弥陀如来は廃仏毀釈で解体される寸前に
住職が譲り受けて伊勢から船で運んできたそうです
最近の調査で平安時代後期の作と分かったそうで、
解体されずに大浜の大仏さまとして親しまれています
全国各地で廃仏毀釈が起こっていた時も西三河の人達は
お寺を守りました


 
f5c3770f.JPG
 
今、寺町を支えている大浜のお婆ちゃんです
お参りをする人がいるからお寺は存在するのですね。
お参りした後に階段に腰掛けて世間話をしていました♪

 

DSC_0243.jpg
 
大浜にも徳川家と関係した寺院があります
東照山・称名寺時宗の寺院です。
時宗は一遍上人が開いた宗派です。
一遍上人は法然上人の孫弟子にあたる九州の
聖達上人から浄土宗の教えを学んだそうです
 
時宗は一日を六つに分けて4時間ごとに順番に仏の
前で念仏を唱えて6時礼讃の御勤めをします。
お勤めをする人々を時の衆「時衆」と呼んだそうです。
江戸時代に「時衆」は時宗となって今に伝わっています。
 
北条時宗の菩提寺・鎌倉円覚寺を時宗の本山と間違えて
訪ずれる人もいるそうです



 DSC_0247.jpg
 
本堂の向拝の柱にはおもしろいの彫り物がありました
昔の人は本物の象を見ないで彫ったのでしょうか。
毛がふさふさして瞳が青色でした

 

 ea782875.JPG
 
約660年前に創建した称名寺は、徳川家との関係が
大変深い寺院です
境内には東照宮も祀られていました
徳川家康の幼名「竹千代」は、父・松平忠広が称名寺
行われた歌会で詠んだめくりはひろき園のちよ竹」から
付けたそうです。
今でも歌会で使用した文台と硯箱が寺宝として残って
います

 

 b9ec7eca.jpg

境内には松平氏歴代の廟があります。
初代・松平親氏時宗の僧でした。
念仏の教えをひろめるため諸国を遊行(旅)して、大浜
たどり着いて称名寺に滞在したそうです
 
その後、海岸線から山手に向かい松平郷に入って松平氏
の娘婿となりました
僧・親氏は清和源氏の流れをくむ世良田氏の出身でした。
そこで徳川家は親氏を松平家初代として、源氏につながる
家柄となったそうです。
将軍は源氏でなければならないという決まりがあった
そうです
 
 

 e348abb5.JPG
 
松平家祖廟から眺めた本堂です
屋根の形が面白いですね
古い建物ですから地震で倒れないように補強がして
ありました
この地域は太平洋戦争の末期に三河地震があって
被害を受けたそうです
また大地震が来るとの話もありますが、備えだけは
しておいた方が良いですね
 
駆け足で大浜の由緒ある寺院を巡ってきました
この狭い地域に宗派の異なるお寺がいくつもあり、
立派なお寺がたくさんあるなーと驚きました!

廃仏毀釈で捨てられる運命にあった大仏さまを譲り
受けて本尊として祀る海徳寺が印象深かったです。
 
散策するなかで小さなお堂を見つけました
大きな寺から次は小さなお堂にいってみます。



松平郷・高月院についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/166/
 

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Comment
フォレ康さん♪
歴史ものの番組を見ていても、誰目線でストーリーを展開するかによって、その人の印象がガラリと変わってしまうな~と思います!!
豊臣家から見たら「えっ~~~@@なんで??!!ひどーーーい><」って
感じでしょうけど、家康も努力の人なんですね!
いずれにしても、人の上に立つ人は何か光るものがあるのでは?と思います^^
フォレストさんも。。。(´艸`)??
チエ URL 2008/10/21(Tue)18:06:10 編集
無題
国宝や重文のようなお寺ではなくても歴史に深く続いていて関係している人々のその時々に願った気持ちが解るような気に!

残るべくして残って行った徳川家なのでしょうね

将軍は清和源氏の流れ云々は何故なんでしょうね、家康は無理やり認識させたと聞いてますが・・・・

想像で描かれた像、青い目で素敵ですね
ビール会社の麒麟は想像の動物、この時代の人は柔らか頭のひとが多かったんでしょうか
信心深く狭い範囲での生活を充分楽しんでいたのがよく解ります
見習わなくては(爆)
向日葵 2008/10/03(Fri)17:32:26 編集
無題
徳川家康は苦労して天下を取った人の象徴だと思います。
秀吉が明るく派手好きであった事に対して、家康は地味で堅実という姿勢であったことも影響してるのかもしれませんが、家康は豊臣の治世から世の中をかっさらった悪人という見方をされる向きもあります。

しかし、こうして半生を見ていきますと、本当に苦労を重ねてきてそういう中から、権力者の横暴を許さず民衆のために平和に治める為の様々な知恵を学んでいったんでしょうね。

苦労は宝になる・・観念では解りますが、そうだ、その通りだっていうような人選にしていかないとと感じました。
フォレ康 2008/10/02(Thu)15:23:44 編集
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