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今回のいい寺は・・・・・
矢作川と矢作古川です。


 DSC_0624.jpg
 
西尾市と碧南市の境を流れる矢作川三河湾に注いで
います
この三河湾で獲れる海の幸は川を上り伊那街道を
通って信州へ運ばれました
そして、信州からは年貢米や物産品が矢作川を下って
きました


 6e03cab1.jpeg
 
現在の矢作川は、江戸時代になって川の氾濫を抑える
ため新たに開いた水路を通っています
昔の水路は、西尾市と吉良町の境を流れていました。
こちらは、本流の矢作川と区別して矢作古川といいます。



 2614a136.jpeg
 
矢作川で使用された帆掛け舟です
本流は川幅が広く、江戸時代は信州三河を結ぶ
水運の要として重要な役割をしていました
明治以降も水運が輸送手段の中心でした。
荷物をたくさん積んだ帆掛け舟が矢作川を上り下りして
活気があったそうです
 


 DSC_0088.JPG
 
矢作川を上っていくと支流の乙川に分かれて岡崎城
繋がります
江戸時代には、三河湾から岡崎城まで五万石船
上っていったそうです
「五万石」という古謡で
「五万石でも岡崎さまは、お城下まで船がつく」
と歌われています。

淀川から京都・伏見に上った船が三万石なので
矢作川の五万石船は大きいですね
 


 627f2158.jpeg
 
こちらは、矢作古川です
穏やかな流れで三河湾に注いでいます
 
昔、この地域は吉良荘といい、足利家の流れをくむ
吉良氏が治めていました。
吉良荘は、この矢作古川を境にして西条東条
分かれていました。
 
足利家の流れをくむ吉良氏は、最初に西条の守護職に
就きました
室町時代には、西条東条を合わせた吉良荘の領主と
なりましたが、一族内の争いから西条吉良氏東条吉良氏
に分かれてしまいます
 


 DSC_0652.JPG
 
応仁の乱の時には、東西両軍に分かれて戦った
そうです
両岸でにらみ合う吉良氏内の抗争は、一世紀にも
およびました
そして、吉良氏の分家にあたる駿河・今川氏から
侵攻を受ける事になってようやく和議を結んだそうです
今川氏の侵攻で内輪もめをしている場合ではなくなった
みたいですね
 
何時の時代でも身内の争いごとはあります。
きっかけは些細なことで、最初に水に流せば終わる事が
多いですね。
 
和解後も今川氏織田氏徳川氏を交えた戦が続いた
そうです
そして、西条吉良氏は徳川家康に討たれて西尾藩になり、
最後は忠臣蔵の事件により東条吉良も改易となって、
この地から吉良氏の名前は消えてしまいました
 


 24f8ca10.jpeg
 
現在、歴史の舞台となった矢作古川では、春と秋の
10日間船遊びが行われます
 
「や・や・や矢作古川、船遊び」
地元・西尾市のボランティアが考案して開催しています。
船は岐阜・長良川の鵜飼船の払下げです。
 
愛・地球博の時に外国人来賓用に使用された船だそうです。
今は畳を敷いてありますが、外国人が足を伸ばせるように
船底は深くなっています
 


 a1c30016.jpeg
 
乗船すると御手洗団子2本とお茶を頂けます
夜間の船遊びでは鍋料理の食事をしながら川面の
風景を楽しみます
月夜にお酒を飲みながらなんてサイコーですね



 DSC_0064.JPG
 
のんびりと船に乗って川遊び
吉良家が矢作川で船遊びをしたという文献は
ありませんが東条西条に分かれて争う前は船を
浮かべて和歌を詠んだのではと想像したくなります
 


 DSC_0044.jpg
 
青鷺が今にも飛び立とうとしています
自然の中をゆっくりと下っていくと、普段目にしないような
風景を見ることが出来て楽しいですね♪
 


DSC_0055.jpg
 
川を下るとラジコンのボートが迎えてくれました
川下りの観客がいるとボートの操縦も張りきるそうです
 


 9fccf492.jpeg
 
西尾茶の茶畑が見えてきました
西尾市では2006年に1万人大茶会を開催して
ギネス記録に挑戦しました
1万4千以上の方が参加して見事に記録を樹立した
そうです
その時の特別ゲストは加藤茶でした
 
ところが今年の2月にインドでティーパーティーが
行われて、3万人以上が集まりあっさりと記録を
塗り替えてしまいました
残念ですね!

ギネス記録は破られてしまいましたが、みんなで記録に
挑戦した楽しい記憶は残りますよね
 


 DSC_0071.JPG
 
船上ではガイドさんが色々な話をしてくれてあっという間に
時間が過ぎてしまいました
ただ、ガイドさんの話で一度も吉良氏の名前出ませんでした。
吉良の歴史と深く関わった矢作古川ですが、吉良荘も
吉良氏も歴史の中で風化してしまったみたいですね
 
矢作古川も矢作川と同じように帆掛け舟海の幸
山の幸を運んだそうです
 
最近では岡崎の豪雨で矢作古川に沢山のゴミが流れて
きて、今回の船遊びを開催する前に大規模なクリーン作戦
行ったそうです
 
川の恩恵をうけるには、先ず川を守らないといけませんね!

今は車社会となってしまいましたが、水運の方が輸送手段
としての歴史は遥かに長いですね
 
三河地方は水運のおかげで、産業・経済が大きく発展した
そうです
高速道路で結ばれた地域を見るだけでなく、海や川で
結ばれた地域を知ることによって、歴史の流れが見えて
きますね。
 
その歴史を知る事によって、他の地域にも親しみを感じ
人の和が広がるように思います
 


※西尾とお茶の関係についてはコチラ↓
  いい寺★実相寺と西尾の文化
  e-tera.net/Entry/180/

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まめちゃん♪
秋はみたらしだよねー(´^ิ ౪ ^ิ)モフ♡ 
京都に行ったら梅園だよねっ♡ 
平安貴族じゃないんだから、なかなかこんな川遊び、舟遊びなんてできないよね~~(笑)!!
でもたまにはいいかも?
チエ URL 2008/10/21(Tue)22:53:27 編集
向日葵さん♪
そうそう!
時代によって境界線や地名が変わっても
川の名前って昔から変わりませんよね^^b

この矢作川こんなにコンクリートが多かったかな@@なんて思いましたよー!!

うんうん♪
秋の夜長に一杯(^o^)人(^o^)
いいですね~~(´艸`)
チエ URL 2008/10/21(Tue)22:45:05 編集
無題
(´^ิ ౪ ^ิ)モフ♡ 団子。。。

秋になると和菓子が恋しくなるのは私だけ?!
ホントだね、自然の中をゆっくり探索してると普段は見えてない景色を見る事ができるよね。。。それってもしかしたらとっても貴重な時間かもしれないね♪心が穏やかになれるもんね! (σ゜▽゜)σぽち♪
|豆家|ロ゜)ハッ ポチなかった(爆)
まめ 2008/10/15(Wed)10:53:47 編集
無題
川のある風景はいいですね
昔は水路は重要な交通手段、ユフラティス川、ドナウ川と大きく栄えた街は必ず川の流域ですね
それにしても、応仁の乱まで遡れるのですか!すごいなぁ~

歴史の悲喜劇をゆったりと流れながら見つめてきた川。帆かけ舟、由緒がありそうですね
とても美しい機能美!三河湾へと賑わいがおもい浮かびます

護岸工事も変化して来ているようですね
コンクリートで真っ直ぐにしてしまった川はとてつもない氾濫をまねくとか。
葦が茂りゆったりとうねりながら流れる自然に戻していくそうですよ

秋の夜に月を見ながら、一杯なんて ムフフフ
向日葵 2008/10/07(Tue)17:42:44 編集
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