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今回のいい町は・・・
中村久子さん 苦難を越えてです♪


1244040245_photo.jpg

バンクーバーオリンピック
真央ちゃんは銀メダルは残念でしたが、帰国した
ときの笑顔がとても素敵でしたね

オリンピックの後は、身体障害者を対象とした
世界最高峰のスポーツ競技大会「パラリンピック
が開催されます。

今回ノルディック競技に参加する選手の話題を
テレビで見ました

有望な選手でしたが、事故で足を失い希望を
失っていたとき母親の
ただ失くしたというだけでなく、それを活かす事
を考えないと

という一言に奮起し、パラリンピックに臨むことに
なったそうです



209.jpg

同じように障害を持ちながら、明治から昭和の
時代に力強く生きた女性がいました

その女性、中村久子さんの一生を伝える顕彰会が
岐阜・高山にあります。

中村久子さんは幼い時に凍傷が原因で脱疽
という病にかかり、わずか4歳で両手両足を失い
ました



beee8f90.JPG

中村久子さんの顕彰会事務局の方からお話を
伺いました

当時は手足の無い久子さんの事を「ダルマ娘」
という人がいたり心無い誹謗中傷があったそう
です。
障害者には厳しい時代でした

彼自身も子供の頃は偏見の目で見てしまった
ことがあったそうです。

しかし、今、このように中村久子さんのことを
伝えようとボランティアで活動されているとういう
ことは、久子さんの生き方や活動を知ることが
できたからこそだと思います



760a0842.JPG

久子さんが仕立てた着物を見せて頂きました
両手両足の無い不自由のなかでこんなにも
見事な着物をと驚きました





4d22ab8f.jpg

中村久子さんの家は畳屋を生業としていました。
幼い彼女は、切断した箇所がなかなか癒えず
泣き叫ぶ日々でした

そして、近所からは冷たい目で見られ一家は
高山の町を転々として暮らしていました



DSC_1051.jpg

それでも家族は久子さんを家に隠すことは
ありませんでした。
父は久子さんをに連れていき、
祖母は近所の子供たちと遊ばせました

元マラソン選手の松野明美さんは、障害を持つ
子供を最初は人目に触れさませませんでした。
しかし子供の頑張る姿を見て、自分の間違い
に気付いたそうです。



04122163.JPG

久子さんの父は、病気平癒のために天理教に
入信して神にもすがりました

しかし、一生懸命育ててくれた父は病に
倒れ、幼少の久子さんを残して逝ってしまい
ました



zasou.jpg

父が亡くなったとき、母は久子さんの治療のために
多額の借金を抱えていました。

母一人では子供二人を養えず、久子さんを祖母へ、
弟を親類へ預けて諏訪の製糸工場へ稼ぎに出ました



b427ab42.jpg

父親を亡くしても道を開こうと頑張る家族

そこへ追い打ちをかけるような不幸が起こります。

久子さんは病気が目にもうつって失明して
しまったのです

絶望した母は久子さんを背負って宮川の上流へ
死に場所を求めて行きました



bd3b5211.JPG

「ひさ、堪忍してなぁ」

激流の音がして、恐ろしさと寒さのなか
「かか様、こわいよー」と母の背中で泣く
久子さんに
「泣かんでなぁ 何でもないの 帰ろうなぁ」
久子さんの涙が母を正気に戻しました

数ヵ月後、久子さんの目も奇跡的に治りました



cd848ba0.JPG


死まで覚悟した母は生きていくために後妻として
子供を二人かかえる畳屋に嫁ぎます。

久子さんも新しい生活が始まりました。

しかし、義父は久子さんを人目につかないよう
2階へ閉じ込めてしまったのです



3921214c.JPG

障害者という理由だけで学校にも通えませんでした。

一年が経ち、義兄の使い古した教科書を与えられ
ました

それでも喜んだ久子さんは部屋の中で教科書を
風呂敷に包んで通学のまねをしてから開いたそう
です

久子さんがどれほど学校へ通いたかったかが
分かりますね



DSC_0095.jpg

離れて暮らす祖母から筆記用具を買ってもらい、
独学をする久子さん。
分からない漢字は、紙切れに書いて近所の子供
に渡しました

そして学校で先生にふりがなをつけてもらい
覚えました

近所で成績の悪い子供は夜な夜な久子さんに
教わりにきたそうです



ce6fb966.JPG

祖母は江戸時代に何代も続く医者の家に生まれ
非常に厳格でありながら、優しい性格の人でした

久子さんにも優しく接しましたが、不具の子として
特別扱いはせず、来客に対しての礼儀から
日常全般に関しては厳格にしつけをしました



DSC_1087.JPG

母も自分が死んだ後の久子さんの人生を心配し
少しのことでも自分のことは自分でできるように
厳しくしつけをしました。



Image145.jpg

「働くために生まれてきた人間だ、働いて生きて
いくのが当たり前です。」
と毎日のように母に言われ、おかげで裁縫を覚え
編み物を覚え、何もかもできるようになりました!



cc6e3312.JPG

障害を持つ苦しみ
理不尽なことを強いられる苦しみ
家族と別れる苦しみ

多くの苦しみを乗り越えて生きていく力

その中村久子さんから大きな力を感じました

服飾専門学校の生徒さんも久子さんの仕立てた
着物を見るため訪れることがあるそうです


色々な困難に出会うのが人生でしょう。

その困難がただの苦しみや悲しみで終わるのでは
なく、自分の人生に大きな益をもたらすものに
変えられるよう、前に向かって歩いていきたい
ものですね

ここを訪れると中村久子さんから、大きな勇気
いただけそうです!
 

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Comment
ゆうさん♪
久子さんが仕立てた着物をわざわざ遠方から
見にくるそうですよ!

学生さんの心を動かす何かが確実にありますね^^
チエ URL 2010/06/13(Sun)23:16:22 編集
なおさん♪
おっしゃる通りですね!

みなさんの活躍をテレビで見るたび
自分にはできないな~なんて驚きます。

チエ URL 2010/06/13(Sun)23:15:14 編集
素晴らしい女性ですね
服飾専門学校の生徒さんにとって、中村久子さんの仕立てた着物は大きな励みになりますね。
障害者だけでなく人と人が触れ合う時には、一方でなく必ず両方が恩恵を受けます。
だから「やってやる」という気持ちより
お互いに感謝する大らかな気持ちが必要でしょう
近所に障害のある子と同じ教室で児童を預かる保育園があります。
有名でいつも満員です。
ゆう 2010/03/22(Mon)00:34:59 編集
以前のコメントと被るかもしれませんが
人は大多数の人と異なる容姿や、行動を取る人を心無い言葉で誹謗中傷するものです。今はあまり聞かなくなりましたが、私が子供のころは差別用語を耳にしたこともあります。
当然それは言われも無いことであり、いくら今健常者であっても何時、立場が変わるか判らないわけでそのような差別をするような事が肯定されるわけでは有りません。
私は、オリンピックの選手よりもパラリンピックの選手のプレーから感動や勇気を貰うことが多いように感じます。
彼らは苦難を味わい乗り越えてきただけに、精神力はオリンピック選手より強く、全体的にいい成績を残していると思います。彼らにとってその競技はまさに苦難を乗り越えるためのものであり人生そのものであり、そのために一身を賭してひたむきに努力し、強靭な心を持ってやり遂げるものなのです。生きている証なのかも知れません。そういう、彼らのプレーは感動そのものではないでしょうか。彼らこそ、私達を代表する選手であり、国の誇りであると思います。
感動をありがとうと言いたいですね。
なお 2010/03/12(Fri)13:21:40 編集
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